投稿日: 2022年2月9日2023年1月13日 賀曽利隆の観文研時代[23] 韓国食べ歩き紀行(5) 1986年 特急セマウル号 観文研(日本観光文化研究所)の所長、神崎宣武さんとの韓国の旅はつづく。 ソウルから韓国南部全羅南道(チョンラナムド)の中心地、光州(クワンジュ)へ。 全羅南道は気 … “賀曽利隆の観文研時代[23]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月9日2023年1月13日 賀曽利隆の観文研時代[22] 韓国食べ歩き紀行(4) 1986年 東大門市場での夕食 午前中は南大門市場を歩いたので、午後は東大門市場を歩いた。夕食は東大門市場の大衆食堂で。 東大門市場の一角には食堂が何軒か並んでいるが、観文研(日本観光文化研) … “賀曽利隆の観文研時代[22]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月9日2023年1月13日 賀曽利隆の観文研時代[21] 韓国食べ歩き紀行(3) 1986年 南大門市場 日本観光文化研究所(観文研)所長の神崎宣武さんとソウルの南大門市場を歩いた。穀物売場では米のほかにアワ、ヒエ、モロコシなどの雑穀類や麦類、豆類が売られている。 香辛料売 … “賀曽利隆の観文研時代[21]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月8日2023年1月13日 賀曽利隆の観文研時代[20] 韓国食べ歩き紀行(2) 1986年 箸と匙 1986年8月26日。ソウル到着の翌朝は、ホテル近くの市場を歩きまわり、朝食も市場内の食堂で食べた。ご飯に味噌汁、キムチが3種、カボチャとタチウオの天ぷらというメニュー。ご飯 … “賀曽利隆の観文研時代[20]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月8日2023年1月13日 賀曽利隆の観文研時代[19] 韓国食べ歩き紀行(1) 1986年 日本観光文化研究所(観文研)発行の月刊誌『あるくみるきく』の第239号(1987年1月号)では、「韓国食べ歩き紀行」を書かせてもらった。宮本常一先生、高松圭吉先生のあとを継いで観文研 … “賀曽利隆の観文研時代[19]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月6日2023年3月21日 賀曽利隆の観文研時代[18] 『忘れられた日本人』 宮本常一先生の代表作に『忘れられた日本人』がある。『宮本常一著作集』の第10巻に収められているが、先生の死後、岩波文庫の1冊になった。 この『忘れられた日本人』の中に出てくる「名倉談義」の舞台、 … “賀曽利隆の観文研時代[18]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月5日2022年2月6日 賀曽利隆の観文研時代[17] 「雑穀」の村、山梨県西原 日本観光文化研究所(観文研)発行の月刊誌『あるくみるきく』では、第66号(1972年8月)の「アフリカ一周」のあと、第114号(1978年8月)で「常願寺川」を書かせてもらった。 富山県の立 … “賀曽利隆の観文研時代[17]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月2日2022年2月5日 賀曽利隆の観文研時代[16] 『あるくみるきく』 日本観光文化研究所(観文研)では、『あるくみるきく』という月刊誌を出していた。 観文研のシンボル的な存在で、所長の宮本常一先生は情熱をこめて毎号の監修をされていた。 1967年3月に出た「特集国 … “賀曽利隆の観文研時代[16]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月1日2022年2月2日 賀曽利隆の観文研時代[15] 下北半島・佐井の「食」(3) 日本観光文化研究所(観文研)の共同調査で入った下北半島の佐井では、1年を通して何かというと餅をつくる。 その餅には大きく分けると、2種類ある。 ひとつは糯米(もちごめ)を蒸籠(せいろ) … “賀曽利隆の観文研時代[15]” の続きを読む
投稿日: 2022年1月30日2022年2月2日 賀曽利隆の観文研時代[14] 下北半島・佐井の「食」(2) 青森県佐井村は下北半島の西部に位置し、津軽海峡に面している。山地は海に落ち込み、断崖をつくり、奇岩の連なる仏ヶ浦のような名所もある。 海岸線に平地のほとんどない佐井では、海の幸と山の幸を … “賀曽利隆の観文研時代[14]” の続きを読む