相模の式内社めぐり

2022 新春ツーリング[1]

 昨年は東北の全式内社109社とその論社22社を合わせて131社をめぐった。式内社というのは平安時代の『延喜式神名帳』(927年)に記載されている神社のことで、日本中に3132座(2861社)あるが、式内社といえば名社の格付け。いずれも1000年以上の歴史がある。論社というのはそれに該当すると論争している神社のことだ。より広く見たいのでカソリ、東北ではその論社もすべてまわった。

 今年の1月1日には午前0時を期して、初詣で我が家に近い伊勢原市の比々多神社を参拝。ここは相模の式内社であり、相模の三宮になっている。

 比々多神社を参拝しながら、「よーし、今年は関東の式内社をめぐろう!」と決意し、まずは地元、相模の式内社めぐりから始めた。

 相模の式内社は全部で13社。その論社を含めると23社あるが、それら23社を12日かけてまわった。

伊勢原市内の式内社めぐり

 まずは伊勢原市内の式内社めぐりだ。

 相棒のVストローム250を走らせて大山へ。我が家から大山の駐車場までわずかに5キロ。土産物店の並ぶ参道の石段を登り、ケーブルカーに乗って阿夫利神社へ。関東総鎮守の神社で、ここは下社になる。下社から登山道を登り、標高1252メートルの山頂に到達。大山の別名は雨降山。その名の通りの天気で、下社ではきれいに晴れ渡っていたが、山頂は雲の中だった。

 阿夫利神社の下社と本社の参拝を終えると、伊勢原市内の比々多神社と論社の比比多神社高部屋神社と論社の高森神社をめぐった。

 伊勢原市内の式内社めぐりを終えると、松田町の寒田神社、二宮町の川勾神社、大磯町の六所神社をめぐった。川勾神社は相模の二宮で、それに由来して町名も二宮町になっている。

 六所神社は相模の式内社ではないが、相模の総社。毎年5月5日の「国府祭」には一宮、二宮、三宮、四宮、それと五宮といっていい平塚八幡宮がこの地に大集合するが、それを取り仕切るのは六所神社だ。

 さらにVストローム250を走らせ、厚木市小野の小野神社、海老名市上郷の有鹿神社をまわる。バイクの機動力を存分に発揮しての神社めぐり。有鹿神社は大きな神社だが、その元宮にも行った。さんざん探しまわったが、相模原市磯部の勝坂縄文遺跡の高台下にあった。みつけた時は「やったね!」と、声を上げて喜んだ。

みつける苦労も式内社めぐりの醍醐味

 相模の式内社めぐりの第2弾は相模の一宮、寒川神社から始める。Vストローム250を駐車場に止めると、表参道の木の鳥居をくぐり抜けていく。神門には迫力満点の厄除けの風神と雷神が飾られていた。堂々とした拝殿で参拝。そのあとは神社前のレストランで名物の「八福餅」を食べた。餡がうまい!

 寒川町の寒川神社からは県道47号の神川橋で相模川を渡り、田村十字路から国道129号を南へ。平塚市四之宮の前鳥神社へ。ここは地名通りの相模の四宮。鳥居をくぐり、御神木の大欅を見て拝殿前で参拝。式内社はどこも千年以上の歴史があるので、前鳥神社御神木の大欅のような巨木を見ることが多い。それが式内社めぐりの大きな魅力になっている。「式内社めぐり」というのは「巨木めぐり」の旅でもあるのだ。

 寒川神社、前鳥神社の2社をまわり終えると、いったん伊勢原市の自宅に戻り、翌日は深見神社宇都母知神社大庭神社の3社をまわった。

 伊勢原から国道246号で大和へ。

 大和で国道467号に入り、南へ。

 深見神社は小田急と相鉄の大和駅入口の交差点を左折する。駅と反対方向に行ったところにあるが、ここはみつけやすかった。隣には深見小学校がある。「深見神社」の案内板も何ヵ所かに立っている。拝殿には厚木(七沢)の地酒「盛升」が奉納されていた。

 次の宇都母知神社はみつけるのに苦労した。

 大和から国道467号を南下し、藤沢市に入る。長後街道(県道22号)との交差点を右折し、いすゞの自動車工場前を通り、宮原の交差点へ。そこを左折し、県道43号に入り、遠藤の交差点を左折。片側2車線の幅広の道を走る。慶応大学の湘南キャンパス前を通り、「宇都母知神社入口」の交差点を左折したところにある。

 と、書けば何なく着けそうだが、それがわからずにグルグル回り、畑仕事をしている人に聞いてやっとわかった。

 というのはぼくはスマホは持たないと決めているので、事前にネットで式内社を調べ、その位置情報を『ツーリングマップル』に落としている。それを頼りに式内社を探しているので、みつけるまでが大変なのだ。しかし、それがまた大きな楽しみにもなっている。

 次の藤沢市の大庭神社もみつけるのが大変だった。県道43号の東側、引地川を渡った丘陵の上にあった。その元宮というのは県道43号と県道47号の交差点に舟地蔵公園があるが、その近くから狭路に入り、急坂を登ったところにあった。

謎多き「石楯尾神社」

 相模の式内社めぐりの最後、第13社目は山梨県境に近い名倉の石楯尾神社。これが大変。その論社が相模原市から座間市、大和市、藤沢市と、相模を縦断するかのように点在しているからだ。

「さー、行くぞ!」
 と、気合を入れて伊勢原市の自宅を出発。

 伊勢原大山ICから圏央道→中央道と式内社めぐりの相棒のVストローム250を走らせる。

 相模湖ICで高速道を降り、国道20号で藤野へ。藤野の交差点を左折し、日連橋で相模川を渡ると右折し、秋山川を渡って名倉へ。山梨県境の近くに「名倉権現」で知られる石楯尾神社がある。寺の山門風の神門をくぐり抜けて参拝。山岳宗教の神仏混交の寺院を思わせるような雰囲気。御神木の夫婦杉が空を突いている

 ここからが石楯尾神社の論社めぐり。国道20号の藤野の交差点に戻ると左折し、境川を渡って山梨県に入ったところで右折し、県道521号で境川沿いに走る。再び神奈川県に入り、県道521号から県道522号へ。山梨県境まで行ったところに佐野川の岩楯尾神社がある。ここも山岳信仰の神仏混交の霊場を思わせる。名倉の石楯尾神社と同じように夫婦杉がある。

 相模原市の佐野川から国道20号に戻ると、藤野を通り、JR相模湖駅前から国道412号→国道413号→県道48号で相模原市緑区の上大島へ。「大島団地南側」の信号を右折したところに石楯尾神社の論社の諏訪明神がある。ここの案内板には次のように書かれているが、石楯尾神社のひとつであるということがよくわかる。

 この神社は覚心師によって、永正年間(1504〜1521年)に創建されたと伝えられています。その後、宝永7年(1710年)に再建され、旧大島村・旧九沢の総鎮守となりました。また、古い記録に登場する式内社の「石楯尾神社」は、この神社のことではないかといわれています。

 相模原市上大島の諏訪明神を後にすると、県道48号→県道52号→県道46号で相模原市南区の磯部へ。県道46号の「新磯小入口」の信号を左折した勝坂に論社の石楯尾神社がある。近くには国の文化財にもなっている旧中村家住宅。勝坂コミュニティセンター前の駐車場にVストローム250を止めて石楯尾神社の石段を登った。

 論社の石楯尾神社の参拝を終えると県道46号を南に走り座間市へ。県道51号を直進してすぐに左折。座間警察署の裏手に石楯尾神社の論社の諏訪明神がある。石段を登ったこの神社の前を鎌倉街道の旧道が通っている。高台上の神社からは座間の町並みを見下ろし、その向こうに連なる大山から丹沢の山並みを一望した。

 座間からから国道246号で大和市の下鶴間へ。ここは大山詣の矢倉沢往還(大山街道)の下鶴間宿。かつての宿場町の風情を今に伝える「下鶴間ふるさと館」では「旧小倉家住宅」を見学。この下鶴間宿に石楯尾神社論社の諏訪神社がある。御神木の椎の巨木はオブジェのようだ。

 いよいよ相模の式内社めぐりも最後の1社になった。

 大和から国道467号で藤沢へ。藤沢の鵠沼にある皇大神宮を参拝。ここは大きな神社。皇大神宮の拝殿の脇に末社の石楯尾神社が祀られている。この石楯尾神社も式内社石楯尾神社の論社になる。

 相模・武蔵・甲斐の三国国境の三国山近くから湘南海岸まで、北から南へと広範囲にわたって点在する石楯尾神社は、謎の多い神社だといわれている。またの機会にその謎に迫っていきたいものだと思ったが、まあ、それはおいて、何ともおもしろい「相模の式内社めぐり」の新春ツーリングだった。