投稿日: 2023年1月29日2023年1月29日 賀曽利隆の観文研時代[85] 「魚沼の鮭と鮎と山菜料理」(2) 魚沼の春はいちどにやってくる。 雪が消える5月の上旬になると、山椿の赤い花や白いコブシの花が山を彩り、カタクリの紫色の花が咲く。 村人たちは山菜採りに山に出かける。 ゼンマイ、ワ … “賀曽利隆の観文研時代[85]” の続きを読む
投稿日: 2023年1月28日2023年1月29日 賀曽利隆の観文研時代[84] 「魚沼の鮭と鮎と山菜料理」(1) 魚沼の小出町(現魚沼市)は日本有数の豪雪地帯として知られているが、越後三山の駒ヶ岳(2003m)、中ノ岳(2085m)、八海山(1775m)が連なり、上越国境の谷川連峰を源とする魚野川 … “賀曽利隆の観文研時代[84]” の続きを読む
投稿日: 2023年1月27日2023年1月28日 賀曽利隆の観文研時代[83] 「岡崎の八丁みそ」(4) 「八丁みそ」の本場だけあって、岡崎には八丁みそを使った料理が数多くある。そんな岡崎の八丁みそ料理を食べ歩いた。 岡崎城内には「木の芽田楽」を名物にしている「八千代」という店がある。堅炭で焼いた … “賀曽利隆の観文研時代[83]” の続きを読む
投稿日: 2023年1月26日2023年1月27日 賀曽利隆の観文研時代[82] 「岡崎の八丁みそ」(3) 「八丁みそ」の作り方を見たくて。「八丁味噌」を訪ねた。すると管理本部長という、いかめしい肩書の田中實さんが案内してくれた。 「私は昔でいうところの番頭でして、何でもやりますよ」 といって笑われた … “賀曽利隆の観文研時代[82]” の続きを読む
投稿日: 2023年1月25日2023年1月26日 賀曽利隆の観文研時代[81] 「岡崎の八丁みそ」(2) 岡崎城下を通り抜ける東海道は城を守るために、「二七曲」と呼ばれるほど曲り角の多い道だった。いまでも旧東海道を歩いてみると、それがよくわかる。 ところで、赤みその代名詞のような「八丁みそ」の起 … “賀曽利隆の観文研時代[81]” の続きを読む
投稿日: 2023年1月24日2023年1月28日 賀曽利隆の観文研時代[80] 「岡崎の八丁みそ」(1) 愛知県の岡崎市は、徳川家康の故郷としてよく知られている。「家康ブーム」も手伝って、家康誕生の地、岡崎城には大勢の観光客がやってくる。 岡崎には2つの名物がある。 「石都岡崎」といわれるように … “賀曽利隆の観文研時代[80]” の続きを読む
投稿日: 2023年1月23日2023年1月24日 賀曽利隆の観文研時代[79] 「信州伊那谷の馬肉・川魚・昆虫」(3) 伊那人はハチノコやイナゴ、ザザムシ、カイコのさなぎなどの昆虫を好んで食べる。そのため伊那には、「かねまん」とか「かねせん」という昆虫食専門の店もある。 伊那人はそれらの昆虫の中 … “賀曽利隆の観文研時代[79]” の続きを読む
投稿日: 2023年1月22日2023年1月23日 賀曽利隆の観文研時代[78] 「信州伊那谷の馬肉・川魚・昆虫」(2) 伊那には川魚専門店がある。「塚原川魚店」である。一歩、店内に入ったときの驚きといったらない。 店内のショーケースには、これでもか、これでもかといわんばかりに、調理済み(主として … “賀曽利隆の観文研時代[78]” の続きを読む
投稿日: 2023年1月20日2023年1月22日 賀曽利隆の観文研時代[77] 観文研(日本観光文化研究所)発行の月刊誌『あるくみるきく』第114号の「常願寺川」にからめて「滑川のホタルイカ」を、『あるくみるきく』第125号の「下関」にからめて「下関のフグ」をみなさんい見ていただいた。 くりかえ … “賀曽利隆の観文研時代[77]” の続きを読む
投稿日: 2023年1月19日2023年1月22日 賀曽利隆の観文研時代[76] 下関(18) 1985年 フグの競りを見る フグの競りを見たくて、下関駅からバスで南風泊漁港まで行った。 南風泊漁港には夕暮れ時になると、フグ漁の漁船が次々に入港してくる。 漁船は50トン前後で、8、9人乗り。フグ … “賀曽利隆の観文研時代[76]” の続きを読む