第1弾 森下駅~清澄白河駅

「江戸探訪」は森下から始まった!

 賀曽利隆の「江戸探訪」は深川の森下から始まった。

 地下鉄の森下駅(新宿線と大江戸線)で降り、駅前の交差点に立つ。

 森下交差点では清澄通りと新大橋通りが交差しているが、新大橋通りを歩き、新大橋から隅田川を見下ろした。新大橋は「新」がついているが、両国橋に次いで2番目に隅田川にかけられた橋で、その歴史は古い。

 新大橋から森下駅方向に戻り、隅田川に沿った万年橋通りを歩く。その道沿いにある「芭蕉記念館」を見学。ここでは芭蕉の「奥の細道」がよくわかる。

「芭蕉記念館」からさらに万年橋通りを歩くと、小名木川にかかる萬年橋の北詰に出る。

 小名木川は江戸幕府が開削した運河で、隅田川と中川を結んでいる。江戸時代の流通の動脈で、萬年橋の北詰には幕府の船番所が置かれたほど。貨物を満載にした船が行き来したのだ。行徳(千葉県市川市)の「行徳塩」を江戸に運ぶ「塩の道」にもなっていた。

 萬年橋といえば葛飾北斎の『富嶽三十六景』でよく知られているが、大勢の人が行きかう萬年橋越しに富士山が見えている。

 萬年橋の北詰には地図の昭文社の制作本部がある。ライダーの皆さんが使っている『ツーリングマップル』はここで作られているのだ。

 芭蕉が住んだ「芭蕉庵」もある。

「芭蕉庵」は今は芭蕉を祀る「芭蕉稲荷」になっているが、ここでかの有名な「古池や蛙飛び込む水の音」などの句がつくられた。

「芭蕉庵」のすぐ近くの小公園には、芭蕉の座像が建っている。小名木川と隅田川の合流点にある小公園で、そこからは隅田川にかかる清洲橋がよく見える。

 小名木川にかかる萬年橋を渡り、清州橋通りに出ると白河交差点へ。ここでは清洲橋通りと清澄通りが交差し、地下鉄(大江戸線)の清澄白河駅がある。

 清澄白河駅前の「清澄庭園」を歩く。園内には「古池や蛙飛び込む水の音」の芭蕉の句碑がある。

 ここには「元禄の豪商」といわれた紀伊国屋文左衛門の別邸があったが、江戸中期の享保年間には下総関宿の城主、久世氏の下屋敷になった。

 明治維新後は一時、「最後の将軍」徳川慶喜が所有し、「郵便の父」といわれた前島密の屋敷になり、三菱の岩崎弥太郎が買収。その弟の岩崎弥之助が庭園を整備した。園内には日本各地の名石が配置されているが、それらの名石は三菱汽船でこの地に運ばれてきたという。

 つづいて「採茶庵(さいとあん)」へ。ここは芭蕉の「奥の細道」の出発点。旅立ちの芭蕉像が見られる。芭蕉は仙台堀川から隅田川の千住大橋まで舟で行き、そこから奥州街道(日光街道)を北へ、北へと歩き始めた。

「採茶庵」を最後に、清澄通りを歩いて清澄白河駅まで行き、「江戸探訪」の第1弾目を終えた。

森下駅前の森下交差点
新大橋から見る隅田川
「芭蕉記念館」を見学
小名木川にかかる萬年橋
葛飾北斎の「富嶽三十六景」の萬年橋
「芭蕉庵」跡の芭蕉稲荷
芭蕉庵」近くの芭蕉像
芭蕉像から見る隅田川
萬年橋から見る小名木川の水門
清澄白河駅前の白河交差点
清澄庭園を歩く
清澄庭園の芭蕉句碑
「採茶庵」の芭蕉旅立ちの像