郷土料理の食べ歩き
日本観光文化研究所(観文研)の企画・編集で1986年には、全12巻の『日本の郷土料理』(ぎょうせい刊)が出版された。
第1巻の北海道、第2巻の東北、第3巻の関東、第4巻の中部、第5巻の東海、第6巻の北陸、第7巻の近畿1、第8巻の近畿2、第9巻の中国、第10巻の四国、第11巻の九州、第12巻の九州・沖縄という全12巻だ。
この全12巻の『日本の郷土料理』の中でカソリは「食べ歩きルポ」をやらせてもらった。
「中部編」の「伊那谷の馬肉・川魚料理・昆虫食」、
「東海編」の「岡崎の八丁みそ」、
「北陸編」の「滑川のホタルイカ」、「魚沼の川魚料理・山菜料理」、
「中国編」の「下関のフグ」、
「四国編」の「讃岐うどん」、「吉野川の川魚料理」、
「九州編」の「長崎築町市場のクジラとカラスミ」、「日向山地のシシ狩りと祭り」。
そのうちの「伊那谷の馬肉」は下記のようなもので、馬肉につづいての川魚料理と昆虫食はここでは省略する。
「伊那人のげてもの食い」
「伊那人のいかもの食い」
などといわれるように、伊那谷の人たちは馬肉や多種の川魚類、ハチノコ、イナゴ、ザザムシ、蚕のさなぎなどの昆虫食と、様々な動物性タンパクを食用にしている。私はそのような伊那人特有の種々雑多な動物性タンパク源を味わってみようと、伊那にやってきた。
さっそく伊那の町を歩きまわる。
まっ先に目についたのは馬肉だ。
伊那といえば馬肉といわれるくらい「伊那の馬肉」はよく知られているが、精肉店でもスーパーでも馬肉は幅をきかせている。店先をのぞいたかぎりでは、馬肉→豚肉→鶏肉→といった順番の肉の重要度のように見受けられた。
JR飯田線の伊那市駅に近い「板屋精肉店」のショーケースには、馬肉が種類別に並べられていた。
馬刺身450円
馬最上肉350円
馬上肉250円
馬中肉200円
(値段は100グラム当たり。昭和61年5月21日現在)
同じショーケースに並べられた他の肉はといえば、和牛もも肉450円、豚ロース190円、豚もも150円、豚肩140円であった。
「板屋精肉店」のご主人が話してくれた。
「伊那では昔は、どの家でも農耕馬を飼っていました。現役を退いた農耕馬をつぶして、食用にしていたのです。それだから馬肉といえば硬い肉で、鶏肉よりも安かった。今では伊那の馬肉といっても、大半は北海道産。伊那の馬喰さん(家畜商)がトラックで運んできたのを見て、生きた馬を1頭、まるごと買ってさばいています。馬は品薄状態がつづいているので、馬肉はどうしても高くなってしまいますね。
伊那の人たちは、それは馬肉が好きですよ。すき焼きといえば馬肉だし、馬刺しも大好物。ふだんの家庭料理でも、煮つけには馬肉をよく使います。とくにゴボウとの取り合わせがいいので、ゴボウの煮つけといったら馬肉です。コロッケやメンチカツにも馬肉を入れますよ」
「板屋精肉店」の隣には、直営の焼肉店がある。そこで「桜鍋」を食べた。馬肉のことを桜肉ともいうが、桜鍋は馬肉のすき焼き。肉は最上のロースの薄切りを使っている。
醤油に味醂、酒を少々合わせて下地をつくり、それに味噌味をきかせて煮たて、その中に馬肉とネギ、ハクサイ、シュンギク、しらたき、豆腐を入れる。馬肉と下地の味噌味がじつにうまく合っていた。
「板屋精肉店」の直営店にはもう1軒、「千田」という居酒屋があった。「千田」では伊那の地酒を飲みながら、馬肉料理に舌つづみを打った。
なんといってもうまかったのは馬刺しだ。
薄切りにしたロースを生のまま、生姜醤油につけて食べるのだが、クセがなく、爽やかな味わいで、いくらでも食べられる。故郷を遠く離れた伊那人が、一番恋しがるのはこの馬刺しだという。それがよくわかる馬刺しの味だった。
次に「伊那桜」を食べた。分厚い馬肉のたたき風のステーキ。
最後に「おたぐり」を食べた。
おたぐりというのは馬のモツをぶつ切りにして長時間、煮込んだもの。4、5時間水煮し、そのあとで味噌で煮込む。長時間煮込むので、クサミは消え、やわらかくなる。
馬の小腸、大腸はとびきり長いものだが、それをたぐり寄せ、たぐり寄せして取り出すところから「おたぐり」と呼ばれるようになったという。
おたぐりは食材にするまでが大変だ。取り出した小腸、大腸をたんねんに水洗いし、表面を包丁でこそいで脂分を取り除き、それを切って2、3時間、流れ水に打たせる。
「千田」を出るとき、店のご主人は馬肉について、一言、話してくれた。
「馬肉は低カロリー、低脂質、高タンパク、高グリコーゲンなので、カロリー過多、コルステロール過多の現代人にはぴったりな肉ですよ」
ー後略ー
この『日本の郷土料理』以降、「郷土料理の食べ歩き」はカソリ旅の大きなテーマになった。
これは日本観光文化研究所(観文研)の解散後のことになるが、月刊誌『市政』(全国市長会)で「日本の郷土料理を訪ねて」の連載をさせてもらった。1991年1月号から5年間の長期連載。その一覧を見てもらおう。
日本の郷土料理を訪ねて(月刊市政)
1、フグ料理(山口県下関市)
2、ホタルイカ料理(富山県滑川市)
3、チャンポン(長崎県長崎市)
4、讃岐うどん(香川県高松市)
5、イカソーメン(北海道函館市)
6、八丁味噌(愛知県岡崎市)
7、馬肉料理(長野県伊那市)
8、有明海の魚介料理(福岡県柳川市)
9、瀬戸内海の小魚料理(広島県尾道市)
10、醤油と素麺(兵庫県龍野市)
11、近江町市場食べ歩き(石川県金沢市)
12、薩摩料理(鹿児島県鹿児島市)
13、棒ダラと身欠ニシン(京都府京都市)
14、湯波と生麸(京都府京都市)
15、京野菜と漬けもの(京都府京都市)
16、多国籍料理(兵庫県神戸市)
17、鵜飼といもたき(愛媛県大洲市)
18、サトイモと熟れずし(福井県大野市)
19、棒ダラ料理(福島県会津若松市)
20、リンゴとジャッパ汁(青森県弘前市)
21、シラウオと夏ミカン(山口県萩市)
22、海女漁とアワビ(三重県阿児町)
23、キリタンポとガッコ(秋田県角館町)
24、イワシ料理(千葉県銚子市)
25、おやき(長野県栄村)
26、海ガメ料理(東京都小笠原村)
27、山菜料理(新潟県小出町)
28、カマボコと梅干(神奈川県小田原市)
29、猪肉とカシノミギャー(宮崎県西都市)
30、琉球料理(沖縄県那覇市)
31、丸子のとろろ汁(静岡県静岡市)
32、ふなずし(滋賀県長浜市)
33、トド肉料理(北海道羅臼町)
34、イワナとクマ肉(石川県白峰村)
35、たこ焼と関東煮(大阪府大阪市)
36、佃煮(東京都中央区)
37、とんかつ(東京都台東区)
38、茶粥とタコ料理(山口県久賀町)
39、ほうとう(山梨県大月市)
40、雑穀料理(山梨県上野原町)
41、豆腐料理(神奈川県伊勢原市)
42、松葉ガニ(兵庫県香住町)
43、団子汁と城下カレイ(大分県別府市)
44、もぐりずしと割子そば(島根県松江市)
45、鯨料理(和歌山県太地町)
46、ますずし(富山県富山市)
47、氷見ブリ(富山県氷見市)
48、ブドウとワイン(山梨県勝沼町)
49、クジラとカラスミ(長崎県長崎市)
50、沖縄本島一周食べ歩き(沖縄県那覇市ほか)
51、北海の魚介料理(北海道稚内市)
52、花咲ガニと鉄砲汁(北海道根室市)
53、イクラ丼とジンギスカン(北海道釧路市ほか)
54、アマゴとそばごめ(徳島県西祖谷山村)
55、ヘシコと精進料理(福井県福井市ほか)
56、タラと花ラッキョウ(福井県三国町)
57、与那国島の泡盛(沖縄県与那国町)
58、団子汁と高菜飯(熊本県長陽村)
59、いしる汁(石川県輪島市)
60、横浜の中華街、食べ歩き(神奈川県横浜市)
バイク誌の『ツーリングGO!GO!』(三栄書房)でも、「食文化研究所」の連載をさせてもらった。2002年8月号から25回の連載で、カメラマンの平島格さんが同行してくれた。その一覧は下記のようなものである。
食文化研究所(ツーリングGO!GO!)
1、奥会津(山菜)
2、甲州(ほうとう)
3、伊那(馬刺し)
4、静岡(安倍川餅&とろろ汁)
5、岡崎(八丁味噌)
6、信州(そば)
7、氷見(ブリ)
8、輪島(いしる鍋)
9、越前海岸(越前がに)
10、浜松(浜納豆)
11、長浜(ふなずし)
12、富山(ますずし)
13、浜松(うなぎ)
14、魚沼(アユ)
15、女川(ホヤ)
16、気仙沼(カツオ)
17、信州(おやき)
18、比内(比内地鶏)
19、青森(じゃっぱ汁)
20、函館(イカソーメン)
21、札幌(ラーメン)
22、士別(羊肉)
23、鯖街道(さばずし)
24、熊川(さばずしと葛)
25、仁賀保(岩ガキ)
第1回目の「奥会津編」の冒頭の部分を見てもらおう。
「現地食主義」のカソリ、この30年余、それぞれの土地に根づいたものを食べながらバイクで世界中を旅してきた。日本でも海外でも、ツーリングのおもしろさは「土地のものを食べること」に尽きると思っている。
アフリカでは主食の雑穀、イモ類の餅状のものをみなさんと同じように手づかみで食べた。
「ユーラシア大陸横断」ではパンからナン、チャパティと変わっていくパンの変化を自分の舌で体験した。
南米、インディオの村では生きたアリ入りのスープで元気が出た。
日本でも郷土料理を目の色を変えて食べ歩いている。
世界中のどんなものでも平気で食べられる“鉄壁の胃袋”がカソリの最大の武器なのである。
「現地食主義」のよさは、目で見たり、話を聞いたりするのと同じように、食べ物を通してその土地が見えてくることだ。その土地に根づいた「食」には、伝統的な文化が凝縮されているので、食べることによって地域性の違いを見ることができる。それを見ることが旅の最大の楽しみといっていい。
記念すべき!?「カソリの食文化研究所」、第1回目は奥会津だ。
冬、栃木県の今市から会津西街道の国道121号を北上したときは、
「おー、これが奥会津か!」
と、奥会津らしさを見ることができてよかった。
関東平野は雲ひとつない抜けるような青空なのに、山間の川治温泉あたりまで来ると、前方には鉛色の雪雲が広がった。関東と東北を分ける帝釈山脈の山王峠(栃木・福島県境の峠)のトンネルを抜け、奥会津に入ったとたんに雪が激しく降りしきり、あたりは一面の雪景色に変わった。奥会津は日本有数の豪雪地帯。
雪が奥会津を奥会津らしくしているし、今回の目的の山菜も銘酒も、すべてこの雪のおかげなのである。
ー後略ー
ぼくが初めて日本観光文化研究所(観文研)に足を踏み入れたのは、「アフリカ一周」を終えた1970年のことだった。観文研が解散したのは1989年3月31日。この間の20年間というもの、観文研では様々なことを教えられた。こうして今、我が観文研時代を振り返ってみると、観文研をつくられた宮本常一先生には「ありがとうございました!」と、心からのお礼をいいたくなってくる。(了)