30回目 2025年3月12日
山田と大槌
3月12日。八甲温泉の朝湯に入り、朝食を食べたところで古山里美さん、小林進一さん、斎藤孝明さんと別れ、上北道→第2みちのく道路→百石道路→八戸道→三陸道と高速道路を一気に南下。宮古を通り過ぎ、山田ICで三陸道を降りた。
新しくできた道の駅「やまだ」で昼食。「地魚にぎり」を食べた。そのあと巨大防潮堤で囲まれた山田漁港を見て、山田を貫く国道45号を走り、復興途上の山田を見る。
山田は壊滅的な被害を受けたが、高台にある町役場は残った。その隣には八幡宮があり、参道の入口には「津波記念碑」が建っている。それは1933年3月3日の昭和三陸大津波の後に建てられたもの。山田の「津波記念碑」には次のように書かれている。
1、大地震のあとには津波が来る
1、地震があったら高い所に集まれ
1、津波に追われたら何所でも此所位高い所へ登れ
1、遠くへ逃げては津波に追い付かれる。近くの高い所を用意して置け
1、県指定の住宅適地より低い所へ家を建てるな
山田の町役場は「津波記念碑」の教えを守り、それと同じ高さのところに建っているので無事だった。それに対して山田の町並みは、それよりも下に再建したので明治三陸大津波、昭和三陸大津波にひきつづいて今回の平成三陸大津波でも、町は壊滅状態になってしまった。
国道45号を南下。山田町から大槌町に入ると、「東日本大震災」の悲劇の現場、大槌町の旧町役場跡でVストローム250SXを止める。
大槌町では「東日本大震災」の大地震発生時、町役場前で防災会議が開かれ、その後の大津波で当時の町長や町役場の職員40人が亡くなった。
町役場は「平成三陸大津波」のメモリアルとして残そうという意見と、「もう見るのもいやだ、すぐに撤去して欲しい」という意見に分かれ、町を二分した。その結果、一部を残すことに決まった。しかし、その後、一部も撤去されて、今はまったく残っていない。
旧町役場跡の案内板は次のように書かれている。
「被災した旧庁舎は保存の是非を巡って町民の意見が分かれましたが、町議会の議決を経て平成31年(2019年)3月に解体されました」
山田も大槌も「東日本大震災」の大津波の直撃を受けて町は壊滅したが、隣合った2つの町、大槌と山田には大きな違いがあった。それは町役場だ。高台にある山田の町役場は残ったが、それに対して大槌の町役場は津波の直撃を受けて全壊した。
大震災以後
大震災以前