30回目 2025年3月11日
14年目の朝
3月11日。今日が「東日本大震災」から14年目。「グリーンピア三陸みやこ」の夜明けを迎える。5時35分にはきれいな朝日が太平洋の水平線から昇った。
大浴場の朝湯に入って、湯から上がると、けたたましくサイレンが鳴り響いた。時間は6時30分。宮古市の大津波の避難訓練開始。「すぐに近くの高台に逃げて下さい」のアナウンスが流れる。
7時に朝食を食べ、我々は8時に出発。まずは高台の「グリーンピア三陸みやこ」から海岸に下り、小堀内漁港に行った。ここは東日本大震災の大津波で37・9mの波高を記録した地点。我が思い出の場所で、防波堤の突端までバイクで行こうとした時、ツルツルの路面に滑って転倒。あわやバイクごと海に落ちるところだった。
国道45号を北へ。岩泉町の小本を通って田野畑村に入ると、三陸海岸の名勝、鵜の巣断崖を見る。「海のアルプス」を思わせるような大断崖がつづく。
国道45号から海沿いの県道44号に入り、三陸鉄道の田野畑駅でひと休みしたところで羅賀へ。ここは明治三陸大津波では50mの最大波高を記録。その時の津波石が残っている。
北山崎の絶景を見て普代村に入ると、国民宿舎のある黒崎に寄っていく。ここでは北緯40度線のモニュメントを見て、カリヨンの鐘を鳴らし、黒埼灯台まで下った。
黒崎から三陸鉄道の普代駅へ。ここには新たに道の駅「青い国ふだい」ができていた。渡辺哲さんとのお別れ。渡辺さんは普代ICから三陸道に入り、福島県のいわき市へと戻っていく。
残った古山里美さん、小林進一さん、斎藤孝明さん、それとカソリの4人は4台のバイクを走らせて北へ。国道45号の道の駅「のだ」で昼食。「磯重」(1200円)を食べた。ここも普代と同じように、三陸鉄道の陸中野田駅と道の駅が一緒になっている。食後に人気の「のだ塩ソフト」を食べたが、かつての野田は塩の産地。道の駅「のだ」には野田塩を運んだ牛方像が建っている。
12時30分、久慈に到着。久慈ICから三陸道を北へ。青森県に入ると一気に尻屋崎を目指す。八戸JCTから八戸道→百石道路を走る。下田百石ICで高速道を降りると、国道338号を北上。三沢漁港に立ち寄り、六ヶ所村、東通村を北上。最後は県道248号→県道6号で下北半島北東端の尻屋崎に到達。ここが東北太平洋岸最北の地になる。
尻屋崎の灯台への道は冬期閉鎖(12月1日〜3月31日)なので、尻屋の集落を走り抜け、尻屋漁港の岸壁でバイクを止めた。時間は15時30分。東北太平洋岸最南端の鵜ノ子岬から873キロだった。
その夜は東北町の八甲温泉に泊まった。ここの湯はいい。薄草色で湯量は豊富。どっぷりまったり湯につかった。湯から上がると、食堂「八甲ドライブイン」で「ホルモン定食」(800円)を食べた。
今回は第30回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」になるが、4月29日〜5月2日には第31回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」を走った。その時は尻屋崎の冬期閉鎖は解除されていたので、その時の写真も見てもらおう。
第30回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」2025年4月30日