30回目 2025年3月10日
「元通りになるまでには50年…」
陸前高田から国道45号で通岡峠を越えて大船渡市に入る。国道45号は大船渡港を見下ろす高台を通っているので大津波の被害を免れたが、大津波に直撃された大船渡漁港沿いの一帯は壊滅状態になった。
BRT(バス高速輸送システム)の赤いバスが走るJR大船渡線に沿って走り、大船渡の中心街へ。BRTの大船渡駅の周辺がかつての大船渡の中心街。町の復興は大分、進んでいる。さらにJR大船渡線に沿って走り盛駅へ。ここが大船渡線の終点だが、盛駅の駅前通りは大津波の影響をほとんど受けることはなかった。これが津波の被害というもので、わずかな高さの違い、地形の違いによって被害の有無、被害の濃淡が一本の線を境にして見られる。
大船渡からは県道9号で綾里へ。我々は綾里漁港の岸壁にバイクを止めた。
震災直後、綾里漁港では漁師の話を聞いた。地震直後、間髪を入れずに船を沖に出したという。このあたりの海はすぐに深くなるので、港外に出れば津波にやられることはない。何度となく大津波に襲われてきた綾里の漁師ならではの話だ。
大地震で地盤沈下した綾里漁港の岸壁は70センチ、かさ上げされた。それでも復興はまだ先だという。
「2年、3年ではどうしようもない。20年、30年でも無理だな。元通りになるまでには50年はかかる。その頃にはまた次の大津波がやってくるよ」
といって笑ったが、綾里の漁師さんのその言葉は忘れることができない。
綾里は日本の津波の特異地帯なのだ。
明治29年(1896年)6月15日の「明治三陸大津波」では38・2メートルという最大波高を記録した。
昭和8年(1933年)3月3日の「昭和三陸大津波」では28・7メートルという最大波高を記録した。
そして今回の「平成三陸大津波」では40・1メートルという最大波高を記録した。
明治、昭和、平成の三陸大津波の最大波高は、すべて綾里で記録されたものである。
そんな綾里が大規模な山火事に見舞われた。
平成以降では最大の山火事で、大船渡市全体では2900ヘクタールの山林が燃え、102戸の民家が燃えた。大船渡には日本各地から消防車が集まった。この日(3月10日)、大船渡の山火事はやっと鎮火し、県道9号は通行できるようになった。
綾里から越喜来(おきらい)へ。越喜来で国道45号に合流し、鍬台峠を越えて釜石市に入る。三陸鉄道の唐丹駅前を過ぎたところでは国道45号から唐丹湾の小白浜を見下した。大津波に直撃されて巨大防潮堤が破壊されたところだが、今ではきれいに修復されている。
釜石に到着すると釜石漁港へ。大津波で貨物船が乗り上げた釜石漁港だが岸壁は整備され、新しい魚市場が完成し、観光客に人気の「魚河岸テラス」ができている。
大震災直後の写真 2011年5月19日