賀曽利隆の観文研時代[48]

常願寺川(16)

 3度目の常願寺川は5月(1976年)に行った。立山アルペンルートで立山を越えるのが一番の目的だ。

 立山アルペンルートは5月15日に全線が開通するので、5月14日の夜、東京を出発。前回と同じ、「急行能登」に乗った。翌朝、富山駅に着くと、駅近くの10階建てのビルに登り、剣岳から薬師岳へと続く立山連峰を眺めた。

 富山駅から地鉄で立山駅へ。立山駅から美女平までは急な斜面を立山ケーブルカーで登っていく。昔の立山信仰登山では、美女平に登るまでが一番の難所だった。それほどまでに常願寺川上流の称名川、真川、湯川に落ち込む谷は深く、険しく、切り立っている。

 多くの立山信仰の信者たちが汗水たらして登った美女平への道も、今では全長1・3キロの立山ケーブルカーでわずか7分で登ってしまう。

 美女平で高原バスに乗り換え、立山高原を登っていく。登るにつれてブナに混じって杉が多くなってくる。「立山杉」だ。樹齢数百年という巨木も見られる。

 滝見台まで来ると高原バスは止まった。遠くに称名滝が見える。冬には岩肌に凍りついていたハンノキ滝に水が流れ、一本の白い線になって落ちている。高さ500メートル。水が流れ落ちていれば、称名滝よりも高い日本一の滝になる。

 標高1400メートルを越えるあたりから植生が変わり、キタゴヨウマツやナナカマドなどの高山性の樹木が多くなった。

 車窓の右手にはやわらかな女性的な曲線を描く薬師岳(2926m)が見えている。立山連峰の中でも屈指の美しさ。時々、左手にチラッと見える剣岳(2998m)とは対照的。剣岳は荒々しい山容で、男性的な感じがする。

 立山アルペンルートはバス1台が通れる分だけ除雪されている。道の両側は見上げるような高い雪の壁。雪の高さは10メートルにも達するほどで、道の両側に白いビルが林立し、その間をバスが走っているような錯覚にとらわれる。

 高原バスは立山直下の室堂に到着。ここが終点だ。春山スキーのメッカ、立山にふさわしく、まるでファッション雑誌から抜け出してきたようなスキーヤーたちが、立山直下の斜面を滑っている。

高原バスの車窓から見る立山
高原バスの車窓から見る立山

 室堂は標高2450メートル。立山の山頂までは手の届きそうな距離。一面の銀世界が広がっている。雪で覆われた斜面は初夏の日差しを浴びて、金属板のようにキラキラ輝き、まともには見られないほどの眩しさだった。

 室堂からは乗り物を次々と乗り換えて立山を越えて、信濃大町に下った。そこから大糸線の松本行の電車に乗った。夕日が北アルプスの山の端に近づいていた。

「あれからもう半年もたつのか」

 冷たい風を突いてバイクを走らせ、常願寺川に向かった日から半年がたっていた。それ以来、実際に行っていた日数は10日ほどでしかなかったが、常願寺川はいつも頭にこびりついていたので、ずっと長く行っていたような気がする。

「常願寺川の旅」は終わった。

 それは日本中を見てまわりたいという我が願いの第一歩に過ぎないが、その原点になるような旅になった。