第3回目(1)2011年9月11日 – 14日

強制避難で、散り散りに

 第3回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」は、9月11日に出発した。相棒はスズキの250ccバイク、ビッグボーイだ。

 6時30分に常磐道の三郷料金所を出発し、8時30分にはいわき勿来ICに到着。そこから鵜ノ子岬へ。鵜ノ子岬の東北側、勿来漁港の岸壁にビッグボーイを止めた。

 鵜ノ子岬は東北と関東を分ける岬で、海に落ち込む断崖の東北側は勿来漁港、関東側が平潟漁港になっている。勿来漁港はそれほど被害を受けていないが、漁民のみなさんの表情は暗い。風評被害で福島産の海産物が売れないからだ。港内には何隻もの漁船が見られるが、今ひとつ活気がないのはそのせいか。

 鵜ノ子岬から小名浜へ。小名浜漁港周辺の信号は消えたままだ。

 ここでは東北最大の水族館「アクアマリン」が営業を再開していた。その近くの「いわき・ら・ら・ミュウ」も11月上旬の再開を目指して急ピッチで復旧工事が進められていた。

 うれしかったのは小名浜漁港の「市場食堂」が営業を再開していたことだ。食堂前にあった瓦礫の山もきれいに取り除かれていた。

 しかし小名浜漁港の魚市場の再開はまだ先のようだ。市場にいたタクシーの運転手は「ここに揚った魚は誰も買わないよ」と怒るような口調で言ったが、その一言は印象的。東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故の後遺症はまだまだつづいている。

 小名浜漁港には渡辺哲さんがヤマハのセローに乗って来てくれた。渡辺さんは今はいわき市に住んでいるが、もともとは楢葉町の町民。楢葉町には東京電力福島第2原子力発電所がある。渡辺さんの一家は原発事故の20キロ圏内からの強制避難で、散り散りになってしまった。

「いつ我が家に戻れることやら…」

 と嘆く渡辺さんだが、原発事故の被災者のみなさんの先行きのまったく見えない不安はきわめて大きい。

 そんな渡辺さんは福島県内を同行してくれる。

 小名浜の三崎を皮切りに、浜通りの岬めぐりをしていく。

 三崎の三崎公園にあるマリンタワーは営業を再開している。マリンタワー内のレストランも営業を再開している。

 つづいて竜ヶ崎、合磯岬と寄って塩屋崎へ。塩屋崎南側の豊間と北側の薄磯はいわき市内では一番大きな被害を受けたところだが、すでにほとんどの瓦礫が撤去され、家々の土台だけが残った被災地には夏草が茂っていた。

 塩屋崎の灯台にはまだ登れなかったが、海岸に建つ美空ひばりの歌碑は無傷で残り、それを見にくる人が多くいた。「大津波の奇跡のポイント」として、これからさらに訪れる人が増えることは間違いない。

 薄磯からは県道15号→県道229号でJRのいわき駅へ。

 渡辺さんの話によると、大震災後のいわき市の人口は2万人以上、増えているという。ここは震災復興事業の拠点で工事の関係者がどっと流れ込んだことと、浜通りの被災者の多くがいわき市に移り住んだからだという。

 いわきから浜通り北部の南相馬には、原発事故の20キロ圏内立入禁止で国道6号では行けない。そこでいわき駅前から国道399号で阿武隈山中を行く。川内村→都路(田村市)→葛尾村→津島(浪江町)と通って飯舘村に入る。峠を下った長泥から県道62号で南相馬市の中心、原町へ。その間には10キロ近いダート区間もある。

 原町の町中を走り抜け、国道6号の道の駅「南相馬」に到着。いわき駅前から118キロ、3時間15分かかっての到着だ。国道6号で行けば1時間半ほどの距離。それがバイクで一気に走っても、倍以上の時間がかかった。

 東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故は、福島県太平洋岸の「浜通り」を完全に分断してしまった。福島県にとっては大きな痛手で、これがいったい、いつまでつづくのかわからない。

 国道6号の道の駅「南相馬」では、地平線会議代表の江本嘉伸さんと『ツーリングマップル関西』担当の滝野沢優子さん、滝野沢さんのご主人に出会った。みなさんは滝野沢さんの車で浜通りの被災地をまわっている。滝野沢さんは被災地に残された犬猫の救援活動をつづけているが、その拠点にも寄ってきたという。

 滝野沢さんらと一緒に南相馬から相馬へ。浜通りの名所、松川浦へ。今回の大津波で大きな被害を受けた松川浦だが、無数の乗り上げ船のほとんどが撤去されているのには驚いた。全部を撤去するのには、相当の日数がかかると思っていたからだ。町中の瓦礫もきれいに取り除かれていた。

 松川浦漁港には、「えー、こんなに多くの漁船が残っていたの…」と、またまた驚かされる光景を目にしたが、ここでは本格的な漁の再開に向けての活気を感じた。

 江本さん、滝野沢さん夫妻とはここで別れ、渡辺さんと一緒に営業を再開している旅館「喜楽荘」に泊まった。松川浦ではほかにも何軒かの宿が営業を再開していた。「喜楽荘」ではサンマの焼き魚を肴に渡辺さんと酒をくみかわした。