我が思い出のバイク[12]
DR250SH 「東京→サハリン」(1991年)を走ったスズキのDR250SHです。林道経由で「東京→稚内」を走り、稚内港からロシア船でサハリンに渡りました。写真はサハリン南部です。 DR250SH(1991年) DR2 […]
生涯旅人、賀曽利隆の旅日記
DR250SH 「東京→サハリン」(1991年)を走ったスズキのDR250SHです。林道経由で「東京→稚内」を走り、稚内港からロシア船でサハリンに渡りました。写真はサハリン南部です。 DR250SH(1991年) DR2 […]
ハスラー50(水冷) 「世界一周」(1990年)のスズキ・ハスラー50です。「日本一周2万キロ」を走ったハスラー50をアメリカのロサンゼルスに送り、アメリカを横断。ニューヨークからロンドンに飛び、欧亜を分けるボスポラス海 […]
ハスラー50(水冷) 「40代編日本一周」(1989年)の相棒、スズキのハスラー50(水冷)です。ここは四国の最高峰、石鎚山のすぐ下で、ハスラー50は急坂も楽々登ってくれました。 ハスラー50(1983年) ハスラーシリ […]
DR250S 「南米一周」(1984年〜1985年)の相棒のスズキDR250Sです。最大の難関はアマゾンの密林越えでした。すさまじい泥土地獄で、泥を取る木の棒が一番の必需品でした。 DR250S(1982年) 1982年 […]
DR500 1982年の「パリダカールラリー」にスズキのDR500で参戦しました。風間深志さん(右)と2人だけの「チーム・ホライゾン(地平線)」を結成しての参戦でした。 ぼくは大会10日目に大事故を起こし、パリの病院まで […]
ハスラー50(空冷) 「30代編日本一周」の相棒のスズキ・ハスラー50(空冷)です。シンプルなメカニズムで、車載工具でシリンダーヘッドを開け、カーボーンを落としていましたよ。これが我が「日本一周」の原点です。 ハスラー5 […]
ハスラー250 ぼくが「峠越え」を始めたのは1975年3月28日のことです。スズキのハスラー250を走らせ、奥武蔵の峠を越えました。ここは虚空蔵峠です。峠越えの最初の頃はいつもハスラー250で、「ハスラー命!」のカソリで […]
GT550 「六大陸周遊」(1973年〜74年)の「南部アフリカ編」はスズキのGT550で回りました。写真は南アフリカのドラケンスバーグ山脈の峠に向かっていく国道で、カソリ、GT550の高速走行に酔いしれていました。 G […]
ハスラー250 1973年から74年にかけて「六大陸周遊」。オーストラリアはスズキのハスラー250でまわりました。雨期の北部オーストラリアでは毎日、泥土との戦いでした。 旅の様子は、30年目の「六大陸周遊記」にて紹介して […]
TS250 1971年から72年にかけての「世界一周」を走ったスズキのハスラーTS250です。日本人初となるバイクでの「サハラ砂漠縦断」をなしとげました。 ハスラー250(1971年) 3月発売の3型は2型より車重が10 […]
TC250 スズキのTC250です。20歳のカソリ、友人の前野幹夫君と一緒にアフリカ大陸を縦断しました。あの頃のぼくの人生にはアフリカしかありませんでした。 スクランブラーTC250(1967年) T21の後継モデルとな […]