投稿日: 2022年2月14日2022年8月5日 賀曽利隆の観文研時代[31] 郷土料理の食べ歩き 日本観光文化研究所(観文研)の企画・編集で1986年には、全12巻の『日本の郷土料理』(ぎょうせい刊)が出版された。 第1巻の北海道、第2巻の東北、第3巻の関東、第4巻の中部、第5巻の東海、第6巻 … “賀曽利隆の観文研時代[31]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月11日2022年2月14日 賀曽利隆の観文研時代[30] 『海を渡った日本の焼きもの』 日本観光文化研究所(観文研)の企画・編集で1985年には、『海を渡った日本の焼きもの』(ぎょうせい刊)が出版された。 江戸期の鎖国日本の花形輸出商品の「イマリ」を追ったものだ。有田で焼か … “賀曽利隆の観文研時代[30]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月11日2022年2月11日 賀曽利隆の観文研時代[29] 全12巻の『日本人の生活と文化』 日本観光文化研究所(観文研)の企画・編集による全12巻の『日本人の生活と文化』(ぎょうせい刊)が出版されたのは1982年。カソリはそのうち第9巻の『食べものの習俗』を担当し、観文研でテ … “賀曽利隆の観文研時代[29]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月10日2022年2月11日 賀曽利隆の観文研時代[28] 全3巻の『世界の食文化』 日本観光文化研究所(観文研)の企画・編集による全3巻の『世界の食文化』(柴田書店)が出版されたのは1981年のことだ。 第1巻目は『粒食文化と芋飯文化』で「東アジア・南アジア編」。 第2巻 … “賀曽利隆の観文研時代[28]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月10日2023年1月13日 賀曽利隆の観文研時代[27] 韓国食べ歩き紀行(9) 1986年 東アジアの食文化 光州(クワンジュ)からソウルへの帰路も特急「セマウル号」に乗った。「セマウル号」のゆったりしたシートにもたれかかり、車窓を流れていく風景に目をやりながら、私はあらた … “賀曽利隆の観文研時代[27]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月10日2023年1月13日 賀曽利隆の観文研時代[26] 韓国食べ歩き紀行(8) 1986年 光州の料亭料理 光州(クワンジュ)を離れる日がやってきた。わずか4日の滞在ではあったが、名残おしい、忘れがたい町だ。 私たちはすっかりお世話になった徐さんを招き、光州最後の食事をす … “賀曽利隆の観文研時代[26]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月9日2023年1月13日 賀曽利隆の観文研時代[25] 韓国食べ歩き紀行(7) 1986年 光州の野菜料理と牛肉料理 過ぎ去った韓国の旅の思い出にふけっている間に、特急「セマウル号」は京釜線と湖南線の分岐する大田(テージョン)を過ぎ、百済の都、プヨー近くの論山(ノンサン)を … “賀曽利隆の観文研時代[25]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月9日2023年1月13日 賀曽利隆の観文研時代[24] 韓国食べ歩き紀行(6) 1986年 初めて見る異国の風景 私が初めて朝鮮半島の土を踏んだのは、1968年4月。「アフリカ一周」(1968年〜1969年)の時のことだった。 横浜港からアフリカ南部のモザンビークに船で渡 … “賀曽利隆の観文研時代[24]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月9日2023年1月13日 賀曽利隆の観文研時代[23] 韓国食べ歩き紀行(5) 1986年 特急セマウル号 観文研(日本観光文化研究所)の所長、神崎宣武さんとの韓国の旅はつづく。 ソウルから韓国南部全羅南道(チョンラナムド)の中心地、光州(クワンジュ)へ。 全羅南道は気 … “賀曽利隆の観文研時代[23]” の続きを読む
投稿日: 2022年2月9日2023年1月13日 賀曽利隆の観文研時代[22] 韓国食べ歩き紀行(4) 1986年 東大門市場での夕食 午前中は南大門市場を歩いたので、午後は東大門市場を歩いた。夕食は東大門市場の大衆食堂で。 東大門市場の一角には食堂が何軒か並んでいるが、観文研(日本観光文化研) … “賀曽利隆の観文研時代[22]” の続きを読む