賀曽利隆の観文研時代[27]

韓国食べ歩き紀行(9)

1986年

東アジアの食文化

 光州(クワンジュ)からソウルへの帰路も特急「セマウル号」に乗った。「セマウル号」のゆったりしたシートにもたれかかり、車窓を流れていく風景に目をやりながら、私はあらためて韓国食の食べ歩きを思い返してみた。

 わずか数日の旅でしかなかったのに、その数日間で体重が4キロも増えた。

 ずっしりと重くなった体で考え、こだわりつづけたのは、韓国食の圧倒的な量の多さであった。膳の上にずらりと並んだ皿数の多さと、1皿ごとの量の多さが、私の目の底に焼きついて離れない。

 私はふと、「南米一周」(1984年〜1985年)のブラジルで食べた「ブラジル定食」といってもいい「コメルシアル」を思い出した。

「コメルシアル」はご飯と豆汁の「アロス(米)・コン・フェジョン(豆)」が基本になっているが、そのほかにビフェ(ビーフステーキ)、スパゲティ、炒めたジャガイモ、ゆでたマンジョカ(キャッサバ)、油で揚げたプランタイン(料理用バナナ)、玉子焼き、サラダ…などの皿がテーブルにズラリと並び、私が食べたなかでは最高で13皿出た。

 このブラジル食も韓国食と同じように、とてもではないが、全部は食べきれなかった。半分食べるのがやっとだった。

 韓国とブラジルという、まったく関連のない食文化圏にある国どうしに、似たような食事の形態が出てくるのはどういうことなのだろうか。もしかしたら、私が韓国で驚かされた食事の量の多さというのは、驚くのに値いしないことなのかもしれない。

 ところで食べ歩いた韓国食を振り返ってみると、ひとつ、強く印象に残った食事がある。それはソウルの市場の一角にある食堂で食べた朝食だ。

 朝食の時間帯、その食堂のメニューはただ一種。ご飯と汁にキムチが1皿ついて出る。このシンプルな食事、つまり「一飯一汁一菜」こそ、韓国食の基本だと強く思ったものだ。ここで私が強調しておきたいのは、この「一菜」である。

 一菜といっても、文字通りに解釈してはいけない。韓国食の食べ歩きの中で、キムチの皿数の多さには何度となく驚かされたが、この一菜というのは、じつに多種多様なのである。「一菜」をつくることに主婦は情熱を傾け、その味を自慢する。韓国では家庭のキムチを食べるだけで、その家の主婦の力量がわかるとさえ、いわれているほどなのだ。

 さて、韓国の主食だが、日本と同じように「飯」といっていい。

 飯は米などの穀物を穀粒のまま炊いた「粒食」形態の食べ物。日本でも飯を主食にし、「飯」と「食事」が同義語になっている。

 日本人にとって飯はあまりにもあたりまえのものになっているが、飯を主食にしている「飯圏」といっていい食文化圏の「粒食圏」は、世界を見渡しても日本から朝鮮半島、中国、東南アジア、インド東部とつづくエリアでしかない。

 私はここまで日本と韓国の違いに目を向けすぎたきらいはあるが、大枠でいえば、「粒食圏」という同じ食文化圏にある国同士なのである。

 私は観文研(日本観光文化研究所)の「東アジアの食文化」調査の一環として今回、所長の神崎宣武さんと一緒に韓国を食べ歩いたが、これからも、東アジアの国々、地域を食文化を通してみてみたいと思っている。

 食文化といっても、目の前の料理だけに目を向ける狭い意味での食文化ではなく、食料を得るところから、調理、保存、食事の様式、それにともなう儀礼、そして生産の用具、加工の用具、調理の用具に至る道具類など、「食」を広範囲にとらえる食文化で、それを通してみることによって、東アジアをより広く、より深く知ることができると思っている。私はこれからも、「東アジア」のさまざまな食べ物を自分自身の舌で味わい、自分自身の胃袋で「東アジア」を考えていきたいのである。