賀曽利隆の観文研時代[109]
西原の麦食(3) 1986年 甲州の山村、西原での大麦の食べ方は、次のようなものだ。 一番よく食べられたのは、麦粥の「オバク」だ。搗いて精白した麦を4、5時間、麦の一粒一粒がふやけて粘り気が出てくるまで炊く。 オバ […]
生涯旅人、賀曽利隆の旅日記
西原の麦食(3) 1986年 甲州の山村、西原での大麦の食べ方は、次のようなものだ。 一番よく食べられたのは、麦粥の「オバク」だ。搗いて精白した麦を4、5時間、麦の一粒一粒がふやけて粘り気が出てくるまで炊く。 オバ […]
西原の麦食(2) 1986年 甲州の山村、西原の食を支えた雑穀、芋、麦の3本柱の中でも、とくに麦の占める比重は高かった。 昭和30年代以降、米が主食になってからというもの、西原での麦栽培は激減したが、それ以前はほとん […]
西原の麦食(1) 1986年 観文研(日本観光文化研究所)の企画編集による『日本の郷土料理・全8巻』(ぎょうせい刊)では、麦食をテーマにして、山梨県上野原町(現上野原市)の西原(さいはら)を訪ねた。 西原は四方を山々 […]
甲州の小正月(2) 1986年 小正月の1月14日に山梨県内の甲州街道(国道20号)を行くと、夕刻から夜にかけて、あちこちで正月の御飾りを焼くどんど焼きを見る。 大月市の初狩では笹子川の河原でどんど焼きをしていたが、 […]
甲州の小正月(1) 1986年 観文研(日本観光文化研究所)の企画編集による『日本の郷土料理・全8巻』(ぎょうせい刊)では、年中行事の一例として甲州の小正月行事を見てまわった。 小正月とは1月15日、もしくは1月14 […]
日向山地の猪狩りと祭り(3) 1986年 銀鏡神楽が終わったあとのことだが、銀鏡の猪狩りに同行させてもらった。 勢子2人とマブシ1人の3人での共同猟。全部で8頭の猟犬を連れていく。 猟師たちは作業着と地下足袋という […]
日向山地の猪狩りと祭り(2) 1986年 銀鏡神楽の翌日は、「シシバ祭り」と呼ばれる狩法神事がおこなわれる。 まずは前日のシシトギリで使われたモリの柴を刈る。オタドコのオタギにするためのものだ。オタドコというのは獲っ […]
日向山地の猪狩りと祭り(1) 1986年 九州山地の奥深くに位置する宮崎県の米良(めら)は、かつては椎葉や五家荘とともに、「九州の三大秘境」といわれたほどの山村だ。 米良は東米良と西米良に分かれる。東米良は西都市の一 […]
長崎の築町市場を歩く(4) 1986年 築町市場の界隈を歩いていて、もうひとつ目を引かれたものがある。それはクジラだ。 鯨肉専門の問屋があり、鯨肉専門の精肉店があった。 「鯨肉」の看板を掲げた鯨肉専門の精肉店「井上商 […]
長崎の築町市場を歩く(3) 1986年 築町市場では、公設の市場内だけではなく、その界隈も歩いた。そこで目についたのは「高野屋 創業延宝三年」、「小野原本店 創業安政六年」の看板を掲げたカラスミの老舗だった。 カラス […]
長崎の築町市場を歩く(2) 1986年 ちゃんぽん、カステラ、べっこう細工、ビードロ細工、唐人館、唐寺、オランダ坂、洋館、天主堂、石橋…と、長崎の町は異国の風、一色に染め上げられている。 長崎の町歩きではそんな異国情 […]
長崎の築町市場を歩く(1) 1986年 観文研編の『日本の郷土料理全8巻』(ぎょうせい刊)の取材(1986年)で長崎駅に着くと、まずはロープウェーで稲佐山に登った 稲佐山は標高300メートルほどの山だが、海からスーッ […]
京都・錦小路の錦市場を歩く 1986年 中心街を東西に走る四条通りの北側、京都第一の繁華街の新京極から入った錦小路に錦市場はある。 魚屋、八百屋、乾物屋、肉屋、漬物屋、総菜屋、天ぷら屋、蒲鉾屋、鮓屋といった食料品店が […]
吉野川の鮎(4) 1986年 吉野川の大歩危で、釆本博さんに鮎釣りを見せてもらったが、駅前食堂「いちひろ」に戻ると、「ザコ(雑魚)があるから食べていったらいいよ」 と言われ、ありがたくいただいた。 イダの塩焼き […]
吉野川の鮎(3) 1986年 大歩危駅前の食堂「いちひろ」で、ご主人の采本(うねもと)博さんに、この地方の鮎料理をいろいろと聞いてるうちに日が暮れてしまった。 駅近くの民宿に泊まり、夕食後、もう一度、駅前食堂の「いち […]
吉野川の鮎(2) 1986年 大歩危駅前の食堂「いちひろ」で「あゆ定食」の昼食を食べたあと、食堂のご主人の釆本(うねもと)博さんに、この地方の鮎料理について聞いた。 鮎は6月の解禁直後の若鮎を塩焼きにして食べるのが一 […]
吉野川の鮎(1) 1986年 坂東太郎 筑紫次郎 四国三郎 といえば、日本を代表する大河である。 坂東太郎は関東の利根川、筑紫次郎は九州の筑後川、そして四国三郎といえば四国第一の大河、吉野川のことである。 […]
讃岐うどん(4) 1986年 高松駅から予算本線で西に向かう。列車は広々とした讃岐平野を走る。坂出、丸亀、多度津で途中下車し、町を歩き、「讃岐うどん」を食べ歩いた。 讃岐人は、「うどんは西讃に限る」とよくいう。 讃 […]
讃岐うどん(3) 1986年 「讃岐うどん」の食べ歩きは、高松から始まった。 高松の町を歩いていて目につくのは、「うどん」、「手打ちうどん」、「讃岐うどん」、「饂飩屋」といった、うどんの看板を掲げた店の多いことだ。東京 […]
讃岐うどん(2) 1986年 讃岐人のうどん好きはきわだっている。「うどん王国」の讃岐だけあって、香川県には「さぬきうどん研究会」といううどんの研究会がある。会報の『讃岐うどん』の最新号(1986年)によると、日本人、 […]