賀曽利隆食文化研究所(14)魚沼編

『ツーリングGO!GO!』(三栄発行)2003年9月号 所収

序論

 清流の川魚、アユは日本の夏には欠かせない味覚。

 アユが解禁になると、それを待ちかねたように多くの釣人たちが川に急ぐのも、アユ釣りのおもしろさのほかに、一時も早くアユを味わいたいという気持ちが強くあるからだ。

 アユで知られる川は長良川や吉野川、筑後川…と、日本中に何本もあるが、その中でも上越国境の谷川連峰から流れ出る魚野川のアユは、「アユ通」にはよく知られている。

 アユが解禁になると、東京方面からも、どっと釣り人が押しかける。

調査

 上越国境の山々の雪どけ水を集めて流れる魚野川は水温が低いので、関東の多くの河川では6月1日にアユ漁が解禁になるが、魚野川での解禁は7月の第1日曜日だ。

 今年(2003年)は7月6日になる。

 魚野川のアユを食べようと、DRーZ400Sを走らせ魚沼へ。

 魚野川には梁でとるアユを食べさせてくれる梁場がある。

 東京から230キロ、小出ICで関越道を下りると、目の前にはすばらしい魚沼の風景が広がっている。右手に八海山、左手に駒ヶ岳、中央の奥に中ノ岳と、「越後三山」がそびえ、その麓の水田地帯を水量豊かな魚野川が流れている。

「美しい日本!」

 思わずそんな言葉が口をついて出る。

 小出ICから国道17号を数キロ、魚野川の上流方向に走った浦佐にその梁はある。

「浦佐やな場」に到着。さっそく梁を見せてもらう。川中に築いた石の堤に導かれるようにして梁にかかった若アユが、ピチピチと簀の上で飛び跳ねている。

 木で組んで簀を張った梁の角度は絶妙。一度ここにかかると、そんな若アユでも、もう逃げられない。手にとると、若アユ特有の若草の萌えるような匂いがする。

 梁でとれたばかりの生きのいい若アユを塩焼きと田楽にしてもらう。

 ここではアユなどの川魚をすべてイロリの炭火で焼いている。

 この道40年の山田順治さんはすばやくアユをつかむと、串刺しにし、それを火のまわりに立てて焼く。

 山田さんはこの仕事をする前は半農半漁で夏はアユとり、冬はサケとりをしていた。サケは産卵のため、日本海から遙に遠いこのあたりまでのぼってくるのだ。

 そんな山田さんのお話を聞いた。

 日本各地のアユを食べ歩いている山田さんだが、魚野川のアユほど大きさ、形、味、香りの4拍子そろったものはないという。魚野川のアユこそ「日本一」だと胸をはる。

 アユは大きければいいというものではない。同じ魚野川のアユも小出より下流になると大きくなるが、山田さんにいわせると味は落ちるという。

 焼き上がったアユをさっそくいただいた。

 塩焼きには紅ショウガ、田楽にはマタタビが添えられている。

 魚野川を渡る川風に吹かれながら食べるので、アユの味も一段とひきたっている。

 やはりアユは塩焼きが一番。それを箸でつっついてチマチマ食べてもおいしくない。頭と尻尾を手でつかみ、まずは腹のあたりにガブリと食らいつく。

 ぼくの一番、好きなところなのだ。

 若アユの臓物のほのかな苦みが、ほどよい味のアクセントになっている。品のある苦みとでもいおうか。魚野川の川石についた川藻だけを食べて大きくなったアユだけに、その身を食べていると、魚野川の清流をも味わっているような気分になってくる。

 塩焼きも味噌焼きの田楽も、頭から尻尾まで骨ごと全部、食べた。「アユ三昧」だ。

結論

 アユは1年魚。秋になると落ちアユとなって日本海の河口へと下っていく。

 ピチピチした若アユは女性でいえばまだ青さ、固さの残る少女を思わせ、ふっくらと丸みを帯びた落ちアユは熟女を思わせる。

 中には若アユよりも落ちアユを好む人もいる。

 落ちアユは真水と海水の境目あたりの砂地に産卵すると、やせ衰え短い一生を終える。「美人薄命」ではないが、このあたりのアユのはかなさも、我々、日本人の心の琴線に響くものがある。

 なお、稚魚は海で育ち、翌春になると、また川に戻ってくる。

「浦佐やな場」では、一年中、魚野川の川魚を食べられる。

 春はヤマメやハヤ。夏はアユ。秋はサケやマス。冬はコイ。

「魚野川」の名前どおりで、この川は川魚の宝庫だ。

「浦佐やな場」で「アユ三昧」したあと、DR−Z400Sで魚野川沿いに走り、釣り糸を垂れている人に話を聞いた。

 何を釣っているのか聞くと、サクラマスだという。

「60センチ級の大物が釣れるんだよ。同じくらいの大きなコイがかかることもある。清流のコイは絶品。全然、違うね」

 釣り人の話から、アユだけではない魚野川の川魚の豊富さ、さらには日本の自然の恵みをあらためて強く感じるのだった。