投稿日: 2022年1月22日2022年1月23日 賀曽利隆の観文研時代[10] 東米良の「焼畑」(1) 宮本常一先生が亡くなられた以降の日本観光文化研究所(観文研)の共同調査は、周防大島の「椋野」のみならず、九州山地の「東米良」、下北半島の「佐井」をフィールドにしてもおこなわれた。 観文研の「東 … “賀曽利隆の観文研時代[10]” の続きを読む
投稿日: 2022年1月19日2022年1月22日 賀曽利隆の観文研時代[09] 奇跡の再会 周防大島の椋野では、松岡睦男さんにお会いした。 「私は大正7年に椋野で生まれました。天浄寺が生家です。昭和6年に椋野の尋常小学校に入学。尋常小学校のあとは2年間、三蒲の高等小学校に通いました。椋野と三蒲の境 … “賀曽利隆の観文研時代[09]” の続きを読む
投稿日: 2022年1月17日2022年8月5日 賀曽利隆の観文研時代[08] 先生の故郷でのフィールド調査 周防大島の椋野では何人もの人たちから話を聞かせてもらったが、その中でもとくに、魚民の話はおもしろいものだった。 「椋野の漁家は全部で13軒。昔は18軒ありました。椋野の漁業というとタコ漁が … “賀曽利隆の観文研時代[08]” の続きを読む
投稿日: 2022年1月15日2022年8月5日 賀曽利隆の観文研時代[07] 宮本先生が亡くなってからの観文研 宮本常一先生の命日の1月30日には、毎年、東京・西国分寺の東福寺で先生の慰霊祭がおこなわれる。 日本観光文化研究所(観文研)の所員だった山崎禅雄さんが島根県の江津市から駆けつけ、東福 … “賀曽利隆の観文研時代[07]” の続きを読む
投稿日: 2022年1月14日2022年1月15日 賀曽利隆の観文研時代[06] 宮本先生とアサ子さん 宮本常一先生の故郷、周防大島を訪ねる賀曽利隆の「聖地巡礼」は「30代編日本一周」から「70代編日本一周」までの6回を数えるが、それとは別に、先生の奥様のアサ子さんにお話しを聞きにいったことがある。 … “賀曽利隆の観文研時代[06]” の続きを読む
投稿日: 2022年1月12日2022年1月14日 賀曽利隆の観文研時代[05] 「聖地巡礼」は続く 宮本常一先生の故郷、周防大島を目指しての「聖地巡礼」は続く。 第3回目は1999年。スズキDJEBEL250GPSを走らせての「50代編日本一周」の時のことだった。 東京を出発してから第25日日 … “賀曽利隆の観文研時代[05]” の続きを読む
投稿日: 2022年1月7日2022年1月14日 賀曽利隆の観文研時代[04] 第2回目の「聖地巡礼」 「聖地巡礼」の第2回目は、宮本常一先生が亡くなられてから8年後の1989年のことだった。この年の3月31日には、宮本先生のつくられた日本観光文化研究所(観文研)は閉鎖され、一切の活動を停止した。 … “賀曽利隆の観文研時代[04]” の続きを読む
投稿日: 2022年1月1日2022年1月1日 新年のごあいさつ みなさん、あけましておめでとうございます。 昨年5月31日の事故では、危うく命を落とすところでした。 午前6時10分頃のことでしたが、東北道佐野藤岡IC近くの3車線区間下りの真中の車線をVストローム250で走行中、右 … “新年のごあいさつ” の続きを読む
投稿日: 2021年12月28日2022年1月12日 賀曽利隆の観文研時代[03] 第1回目の「聖地巡礼」 日本観光文化研究所(観文研)をつくられた宮本常一先生の故郷、周防大島は、ぼくにとっては聖地だ。バイクで「日本一周」をするたびに、周防大島には立ち寄っている。 「30代編日本一周」(1978年)は … “賀曽利隆の観文研時代[03]” の続きを読む
投稿日: 2021年12月25日2022年1月12日 賀曽利隆の観文研時代[02] 「偉大なる旅人、宮本常一」誕生の10ヵ条 日本観光文化研究所(観文研)をつくられた宮本常一先生は1907年(明治40年)8月1日、周防大島東部の家室西方村で生まれた。戦時中に白木村と改称し、1955年(昭和30年)には … “賀曽利隆の観文研時代[02]” の続きを読む