鵜ノ子岬→尻屋崎[054]

第4回目(11)2012年3月10日 – 21日

宿はどこも満室だ

 宮古を出発。国道45号で山田へと南下する。

 ありがたいことに宮古を過ぎると路面の雪は消え、難所のブナ峠も路面にはまったく雪はなかった。このことからもわかるように宮古は大きな境になっている。

 山田に到着すると山田漁港で波静かな山田湾を眺め、かつての町の中心街に入っていく。JR山田線(運休中)の陸中山田駅に行き、ホーム上にV−ストローム650を止めた。そして駅近くで営業を再開した「いっぷく食堂」をみつけ、「焼き魚定食」(800円)を食べた。

 山田にはまったく雪がなかったので、
「これなら行けるかもしれない」
 とばかりに、本州最東端の岬、トドヶ崎を目指すことにした。

 山田から海沿いの道で重茂半島に入っていく。

 真っ青な山田湾の海を見ながらV−ストローム650を走らせた。

 山田湾は養殖漁業の盛んな海だった。「東日本大震災」以前は一面にびっしりと養殖筏で埋め尽くされ、まるで「海の畑」といった風景だった。その養殖筏がまだほとんど見られない。

 海岸を離れ、山中に入っていく。するとあっというまに雪道に変わった。ツルツル滑りながら走ったが、雪はどんどん多くなる。

「これは無理だ」
 と、トドヶ崎まで行くのを断念し、山田に戻った。

 山田からは国道45号を南下する。

 船越半島に入っていく道との分岐点を過ぎたところに道の駅「やまだ」がある。ここは大津波にもやられず、無事だった。すぐ下の船越半島につながっている一帯は大津波に激しくやられたので、ここでも1本の線を境にして天国と地獄を分けた現場を見た。

 道の駅「やまだ」の一角には、大津波に襲われた直後の山田の写真が展示されている。すさまじいばかりの惨状。大津波に追い討ちをかけるように大火にも見舞われた山田は、足の踏み場もないような「瓦礫の町」と化したのだ。

 道の駅「やまだ」を出発し、国道45号を南下する。

 大槌では仮店舗の「復興食堂」でV−ストローム650を止めた。復興丼の「おらが丼」を食べたかったのだが、残念ながら「準備中」。

 釜石に到着したのは16時。少し早かったが「釜石で泊まろう!」と、釜石駅前まで行き、駅周辺のホテルや旅館を聞いてまわった。ところがどこも満員。そこで大船渡まで行くことにした。

 18時、大船渡に到着。

 すると、まるでそれに合わせたかのように、不気味なサイレンが町中に鳴り響いた。津波注意報が発令された。広報車が町中を走りまわっていたが、幸い津波は押し寄せてこなかった。

 大船渡でも宿探しは大変。

「つつみ旅館」、「大船渡プラザホテル」、「ホテル丸森」と営業している旅館やホテルを片っ端から当ったが、釜石と同じようにどこも満員。大震災から残った旅館やホテルの数は少なく、日本中からやってきた復興事業関連の長期滞在者でどこも満室状態なのだ。宿がとれずに、遠野とか一関、北上、花巻に宿をとって大船渡まで通う人たちも多くいるという。

 すごくラッキーだったのは地元の人に富山温泉を教えてもらったことだ。

 富山温泉というのは大船渡の近郊にある一軒宿の温泉。日帰り湯がメインだが、何人かは泊まれるという。ダメモトで行ってみると、うまい具合に泊まれた。

 さっそく湯に入り、湯から上がったところで部屋で夕食。カンビールを飲みながら、スーパーの握りずしを食べた。

「いやー、助かった!」

 ここは素泊まりで3000円。湯は十分によかった。

「富山温泉」というのは、温泉を掘り当てた富山さんの名前から取ったものだという。

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