第4回目(12)2012年3月10日 – 21日
「おかもと」が、営業を再開
3月15日、「富山温泉」の朝湯に入り、7時30分、出発。出がけに社長の富山さんから、「よく来てくれた!」といってヤクルトを5本もらった。宿泊費が3000円なのに…。このあたりにも東北人の心の暖かさを感じるのだった。
富山温泉に近い国道45号沿いの「ローソン」で朝食。「幕の内弁当」を食べたあと、富山温泉の社長にもらったヤクルトを飲んだ。ありがとう、富山さん!
大船渡を出発し、国道45号を南へ。
通岡峠を越えて陸前高田市に入り、高田の被災地を走り抜けていく。
大津波に直撃されて全壊した道の駅「高田松原」とは国道をはさんで反対側のセルフのガソリンスタンド「おかもと」が、営業を再開した。3月3日のオープンだという。そこには「がんばろう! 陸前高田」と大きく書かれていた。
宮城県に入ると、唐桑半島突端の御崎まで行ってみる。
御崎には御崎神社が祭られ、そこから先は遊歩道になっている。タブやツバキなどの照葉樹林がうっそうとおい茂り、岬突端への小道は昼でも暗い。黒潮の影響で、このあたりまで暖地性の照葉樹林が延びている。小道のわきには苔むした鯨塚。この一帯ではかつては、供養塔を立てるほど鯨を捕っていた。
御崎の突端には黒色粘板岩の岩場が幅30メートル、長さ100メートルにわたって海に突き出ている。「八艘曳」と呼ばれる岩場で、御崎神社の祭神が8艘の船を従えてこの岩に上陸したという。まさに「御崎」なのである。
国道45号に戻ると、バイパスで気仙沼を走り抜け、南三陸町に入っていく。ここでは往路で入れなかった志津川のバス・ラーメン店「蔵八ラーメン亭」に寄り、「広東麺&餃子」(1150円)を食べた。
南三陸町の志津川から国道45号→国道398号で女川へ。
今回の「平成三陸大津波」では、高さ30メートルの大津波が女川の町を襲い、中心部はほぼ全滅。強い引き波によってひっくり返った鉄筋の建物が目立つ。これが女川の大きな特徴だ。1000人近い犠牲者が出た。
女川からコバルトラインで牡鹿半島に入り、鮎川へ。震災直後から通行止になっていたコバルトラインは、北側の半分くらいは通行できるようになっている。
牡鹿半島の中心、鮎川は大地震と大津波で町はほぼ全滅。1年たってもそれほど町の様子は変らない。復興までには相当の年月がかかるであろうと思わせる光景だ。
そんな鮎川から御番所山の展望台まで行き、目の前の海に横たわる金華山を眺めた。鮎川港から金華山への観光船は停ったままだ。
鮎川から牡鹿半島西岸の県道2号で石巻へ。夜の石巻の中心街をひとまわりしたが、以前と比べると町は暗い。
石巻からは国道45号を走り、20時、松島の「松島センチュリーホテル」に到着。まずは大浴場にどっぷりつかる。無色透明の肌にまとわりつくような松島温泉の湯。ツルツル湯だ。
湯から上がったところでスズキ二輪の村上さんと落ち合い、ホテル内の居酒屋に直行。生ビールで乾杯。そのあと牛タンや刺身、焼きイカなどを肴にして飲むほどに、中国談義で盛り上がった。
スズキの125ccスクーター、アドレスV125Gを走らせての「広州→上海」(2008年)の中国ツーリングには、村上さんが同行してくれた。松島の宿で振り返る「広州→上海」は何ともなつかしいものだった。
2 Thoughts on “鵜ノ子岬→尻屋崎[055]”
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