2024年2月10日
またしても大きな被害を受けた
輪島を出発。県道1号を南下し、穴水町に入ったところで県道7号へ。ゆるやかな峠を越えて再度、輪島市に入る。そこは旧門前町。門前町は2006年に輪島市と合併した。
県道7号で門前の中心部に向かっていくと、倒壊家屋が見られた。
本市の交差点で国道249号に合流。穴水から門前までの県道7号は問題なく走れたが、国道249号に出たところにあるGSは休業中。地下タンクがやられたという。
バイパスから旧道に入ると、倒壊した家々がつづく。伊須流岐(いするぎ)神社の前を通ったが、鳥居は崩れ落ちていた。
輪島から県道1号を南下
県道7号で大きな被害を受けた門前へ
門前の倒壊した家。ブルーシートが目立つ
門前の倒壊した家
門前の倒壊した家
門前の伊須流岐神社。鳥居は崩れ落ちたが社殿は残っている
門前の中心街に入る
門前の中心街を行く
自衛隊の災害派遣の車両
伊須流岐神社は中能登町の石動山(せきどうさん)山麓の能登二宮、伊須流岐比古神社につながっている。霊山の石動山の古名は「いするぎやま」。石動を「いするぎ」と読む。倶利伽羅峠下の越中側には石動の町がある。小矢部市の中心だが、読み方は「いするぎ」。ぼくの母方の祖母の生れ故郷だ。
じつは中能登町には能登の二宮がもう一社ある。「二宮の姫神社」といわれている天日陰比咩神社だ。能登二宮といわれるこれらの2社はどういう関係なのか、また「いするぎ」とは何なのか、おおいに興味をそそられる。
門前は曹洞宗の大本山、総持寺の門前町だが、本山は横浜の鶴見に移り、今は総持寺祖院になっている。2007年の能登半島地震は震源地は門前で、マグニチュード6・9の大地震だったが、総持寺祖院は大きな被害を受けた。長年の復旧工事でほぼ修復を終えたが、今回の能登半島地震ではまたしても大きな被害を受けた。門前の震度は7だった。
総持寺祖院
総持寺祖院前の道沿いの倒壊家屋
総持寺祖院前の道沿いの倒壊家屋
今回は拝観できなかったので、2020年の総持寺祖院拝観を見てもらおう。それと能登二宮の天日陰比咩神社の写真も。能登二宮のもう1社、伊須流岐比古神社はまだ行ってないので、次の「能登半島を行く」の時に参拝しよう。その時に石動山も見てみよう。
総持寺祖院の拝観経路図(2020年)
総持寺祖院の山門(2020年)
総持寺祖院の大祖堂(2020年)
総持寺祖院の本堂(2020年)
能登二宮の天日陰比咩神社(2020年)
2 Thoughts on “能登半島を行く[13]”
コメントは受け付けていません。