賀曽利隆の観文研時代[04]
第2回目の「聖地巡礼」 「聖地巡礼」の第2回目は、宮本常一先生が亡くなられてから8年後の1989年のことだった。この年の3月31日には、宮本先生のつくられた日本観光文化研究所(観文研)は閉鎖され、一切の活動を停止した。 […]
生涯旅人、賀曽利隆の旅日記
第2回目の「聖地巡礼」 「聖地巡礼」の第2回目は、宮本常一先生が亡くなられてから8年後の1989年のことだった。この年の3月31日には、宮本先生のつくられた日本観光文化研究所(観文研)は閉鎖され、一切の活動を停止した。 […]
みなさん、あけましておめでとうございます。 昨年5月31日の事故では、危うく命を落とすところでした。 午前6時10分頃のことでしたが、東北道佐野藤岡IC近くの3車線区間下りの真中の車線をVストローム250で走行中、右 […]
第1回目の「聖地巡礼」 日本観光文化研究所(観文研)をつくられた宮本常一先生の故郷、周防大島は、ぼくにとっては聖地だ。バイクで「日本一周」をするたびに、周防大島には立ち寄っている。 「30代編日本一周」(1978年)は […]
「偉大なる旅人、宮本常一」誕生の10ヵ条 日本観光文化研究所(観文研)をつくられた宮本常一先生は1907年(明治40年)8月1日、周防大島東部の家室西方村で生まれた。戦時中に白木村と改称し、1955年(昭和30年)には […]
20歳の旅立ち 1968年4月12日、ぼくは友人の前野幹夫君とスズキのTC250とともに、横浜港からオランダ船「ルイス号」に乗り込んだ。「アフリカ縦断」を目指しての20歳の旅立ちだ。 「日本を飛び出したい!」 「広い世 […]
2019年10月11日 目指せ、20万キロ! 2019年10月11日。津軽海峡フェリーの「ブルーマーメイド」は午前0時、青森港に入港。下船すると、すぐさま東京を目指して走り出す。 国道7号を南下。 矢立峠を越えて秋 […]
2019年10月10日 「峠のあげいも」に北海道を実感 「北海道のヘソ」の町、富良野を出発し、さらに国道38号を行く。 石狩川最大のの支流の空知川沿いに走り、芦別、赤平を通り滝川へ。滝川で国道12号に合流。 滝川から […]
2019年10月10日 峠を越え、富良野へ 10月10日。午前4時30分、白糠駅前の「ホテル洸洋」を出発。気温は0度。寒い。ガタガタ震えながら国道38号を走る。十勝川を渡るころには夜が明けた。 帯広に近づいたところで […]
2019年10月9日 日本本土最東端「納沙布岬」 根室を出発し、日本本土最東端の納沙布岬へ。根室半島一周の道道35号を行く。歯舞漁港を過ぎ、日本最東端の郵便局、珸瑤瑁(ごようまい)郵便局の前を通り、根室から22キロで納 […]
2019年10月9日 オホーツク国道を南下する 2019年10月9日。午前5時、日本最北端の宗谷岬を出発。日本本土の16端をめぐる「日本16端紀行」も、残すのは日本本土最東端の納沙布岬だけになった。 相棒のVストロー […]