先生の故郷でのフィールド調査
周防大島の椋野では何人もの人たちから話を聞かせてもらったが、その中でもとくに、魚民の話はおもしろいものだった。
「椋野の漁家は全部で13軒。昔は18軒ありました。椋野の漁業というとタコ漁が中心で、タコツボを使ってのタコ漁ですね。期間は4月初旬から8月まで。7、8月が最盛期。獲るのはホンダコ。1本の綱に120個から150個ぐらいのタコツボをつけるけど、だいたい1軒の漁家でこの綱を10本から12本ぐらいは持っている。タコツボは1個150円します。ふつうは250円。それを安くしてもらっている。末田(山口県防府市)のタコツボを使っている。獲ったタコは岩国と広島の市場に出します。タコの漁期の間は、ほとんどといっていいくらいにタコだけで、ほかの漁はまずできないね。
タコ漁が終わると網漁になる。刺網です。9月、10月がアブラメ漁、正月から4月ごろまでもアブラメ漁がつづくのだけど、2月、3月はメバル漁が中心だね。コノシロやカレイも獲る。カレイは正月前が一番安くなってしまうので『師走ガレイに宿かすな』なんていってますよ。そのほかギザメとかチヌだね。
1年を通して2月、3月が一番ひまです。反対に一番忙しくなるのは梅雨が明けてから盆が過ぎる頃まで。漁を休む日といったら近所で不幸があったときとか、盆、正月、祭りの日ぐらいだね。釣漁は5、6年前までは2ハイの釣船があったのだけど、今はやってない。大島でも釣漁の盛んなところはありますが、椋野には釣漁は合わないようだ。
かつての網漁というと終戦後の一時期、サヨリ網をやったことがある。10人から20人ぐらいでやるのだけど、分け前は平等だった。丈は3尺(約90センチ)、長さが200メートルから300メートルぐらいある網で、このサヨリ網ではずいぶんともうけさせてもらいましたよ。ゴチ網も終戦後の一時期、やったことがある。タイを獲る網。ローラーゴチといって機械で巻き上げる網もあった。それとイワシ網。地引網のことだな。
私は高等科を出るとすぐに海に出るようになった。高等科の卒業というと15、6歳のころ。漁師としては3年くらいやって、はじめて一人前になったような気がした。船に動力をつけるようになったのは終戦後のこと。それ以前は船に帆を立てていた。
私たち椋野の漁師は北風をすごくいやがります。北風のことはキタといってます。南風がマジ、南西の風がヤマジ、北西の風がアナジ、東風がコチ、西風がニシになる。『冬のアナジがニシになる』といえば、冬の北西の季節風から春の西風へと季節が変わったということです」
(浜野重一さん 明治40年生まれ)
「私はタコツボの綱は全部で12本持ってます。1本の綱に100個のタコツボをつけてます。漁の中心はタコ漁。タコの産卵期は9月初旬から中旬で、この期間、タコはまったく動かない。そのため漁は休み。9月1日から10月20日まではタコの休漁期間にしようと、今年、組合で決めました。この期間にタコツボを上げ、タコツボの掃除をします。それを『カキオトシ』といっている。タコは魚でもアナゴでも貝でも何でも食べます。
タコツボは末田(山口県防府市)から買ってます。田中とか安田という専門の業者がいる。一級品のタコツボが1個240円、二級品が160円。1年間に500個から600個は使いますね。タコツボをつけるロープは1巻が10000円から15000円。タコツボの綱1本で5巻のロープが必要になる。
風については『寒いキタ(北)風、冷たいアナジ(北西の季節風)、吹いてぬくいマジ(南)の風」なんていいますよ。また潮については『5日、20日は真昼がダタエ(満潮)、朔日(1日)、中道(15日)、4ツ巳刻(午前10時)がダタエ』っていってます。漁には今でも旧の暦(旧暦)を使っています。
これも潮のことですが、『讃岐3合、興居島(松山沖)5合、お花の瀬戸(豊予海峡)で手いっぱい(満潮)』などいわれていますよ。これは漁師ではなくて、気帆船の船乗りたちがいったということで、同じ時刻の瀬戸内海でも場所によってはこれだけ潮が違うということです。漁を旧(旧暦)でやっているといったけど、そうすると1日、15日が大潮で、7日、13日が小潮になります。網代(漁場)によっては大潮がいい場合もあるし、小潮がいい場合もある。
久賀(旧久賀町久賀)にはアナゴ漁専門の人がいますよ。タコ漁には餌はいらないけれど、アナゴ漁には餌が必要でイワシを使っています。マジメ(日が落ちるころ)にアナゴカゴを海に入れ、2時間ぐらいで引き上げます。椋野でも終戦後の2、3年はアナゴ漁をやる人がいたけれど、今では誰もやってません。そのほか久賀には10月1日から11月20日までワタリガニを専門に獲る人がいる。
椋野の網代というとハダ、シモズ、ナカデ、タカマワシ、フジノウチ、ホンデト、イシノナカ、フカリ、オキノハナ、シオザカイ、ミナミノカマチ、ハシマミド、コンマ、スノウエ、トンネルぐらいですかね。
よく獲れたときは、どこで獲れたのか、ほんとうの網代をいう漁師はまずいない。たいてい反対の場所をいいますね。
タコツボの綱は浮きなしで海に落としていきます。ですから見た目には、どこにタコツボがあるのか、まったくわからない。それを毎日、拾い上げてタコを獲るわけです。タコツボの綱を拾い上げるのは『ヤマグイヤ』で場所を確かめ、サグリを入れて引き上げます。『ヤマグイア』というのは『山が喰いあう』といった意味でしょうか。直角を使ってヤマを立てます。なるべく近くのヤマ(目標物)と、それに直角になるような山との線を交差させたところにタコツボの綱があるというわけです。近くのヤマには岬、それと直角になるようなヤマには島を使うことが多いね。ヤマの立て方というのは、今までの経験によるところが大きい。失敗してタコツボを引き上げられなかったことはない。コツとしてはなるべく近くのヤマを使うことです。
タコツボの綱に浮きをつけないで海に落とすのは、このあたりは潮が速いので、浮きをつけていると綱ごともっていかれてしまうことがあるからです。それとこのあたりは航行する船舶がきわめて多いので、船にひっかけられてしまう危険性がきわめて高いという理由もある。網代の中でも岸に近いところだと、浮きをつけることもありますよ」
(浜野慶一さん 明治44年生まれ)
タコ漁について話してくれた浜野慶一さんは、
「自分の目で見るのが一番」
といって翌日のタコ漁に一緒に連れていってくれた。
漁から戻ると、奥さんはタコ飯を炊いてくれた。獲れたてのタコを細かく刻んで混ぜ合わせた炊き込みご飯。タコの味とほのかな潮の香がご飯にのり移っていて何ともいえない味のよさ。「海の幸」を実感させてくれるものだった。