賀曽利隆の観文研時代[113]

賀曽利食文化研究所(2)伊那編

『ツーリングGO!GO!』(三栄発行)2002年9月号所収

序論

 伊那の馬刺しを食べたくなった。

 それも、無性に食べたくなった。

 馬刺しといえば熊本や東北の各地にそれを名物にしているところがあるが、なんといっても本場は信州の伊那谷だ。思い立ったが吉日、東京から中央高速の一気走りで伊那へ。

 信州は「盆地の国」。中央分水嶺北側の千曲川沿いには佐久盆地、上田盆地、長野盆地、飯山盆地と盆地が鎖状につながっている。さらに北アルプスの山麓には松本盆地と安曇野盆地が広がる。それらの盆地は佐久平とか善光寺平のように、何何平と呼ばれている。

 中央分水嶺の南側には諏訪湖周辺の諏訪盆地、諏訪湖から流れ出る天竜川沿いの伊那盆地とやはり盆地がつづく。

 中央分水嶺の北側は佐久を中心とする東信、長野を中心とする北信、松本を中心とする中信、諏訪を中心とする南信に分かれているが、その中央分水嶺を越える峠道が何本もあるので、信州は「峠の国」ともいえる。

 伊那はそんな南信の伊那盆地にある。

 中央高速を伊那ICで降り、高台に立って伊那盆地を一望する。

 東側には南アルプス、西側には中央アルプスの高峰群が連なり、その間を天竜川が流れている。伊那盆地は「伊那谷」とよく言われるが、谷から受けるイメージ以上の広がりがある。ここが日本の馬肉料理の本場になっている。

調査

 伊那の市街地に入り、JR飯田線の伊那市駅前の駐車場にバイクを停め、さっそく肉屋を見てみる。駅近くの「板谷精肉店」のショーケースには、7種類の肉が並んでいた。

  牛ロース(850円)
  馬刺し (480円)
  馬最上 (400円)
  馬上  (300円)
  豚ロース(230円)
  豚上  (160円)
  豚中  (130円)
  (値段は100g当たり)

 なんと7種類の肉のうち、3種類が馬肉だ。

 さすが馬肉料理の本場だけのことはある。

 スーパーの肉売り場をのぞいても、やはり馬肉が幅をきかせていた。

「伊那谷の人たちは、それは馬肉が好きですよ。馬刺しは大好物だし、すき焼きといえば馬肉。ふだんの家庭料理でも馬肉をよく使います。コロッケやメンチカツにも馬肉を入れます」

 といった話を店で聞いた。

 伊那の中心街をプラプラ歩く。

 川魚店の店先にずらりと並んだ川魚類の甘露煮を見たり、伊那名物のハチノコやザザムシ、イナゴを売る店を見たりして伊那市駅前に戻った。

 歩いて腹をへらしたところで、馬肉料理を食べる。

「板谷精肉店」に隣りあった焼肉店の「いたや」に入り、馬肉三昧の食事をした。

 まっさきに「馬刺し」を食べた。

 うす切りにしたロースを生のまま、ショウガ醤油につけて食べるのだが、クセがなく、さっぱりとした味わいで、ツルツルッとソバをすするかのように1皿、あっというまにたいらげた。故郷を離れた伊那人が一番、恋しがるのが馬刺しだということも、この本場の馬刺しを食べてみるとよくわかる。

 次に「おたぐり」を食べた。

 おたぐりというのは、馬のもつをぶつ切りにし、長時間、煮込んだもの。くさみは消えてやわらかくなっている。

 馬の腸はとびきり長いものだが、それをたぐり寄せ、たぐり寄せして取り出すところから「おたぐり」の名があるという。おたぐりは食材にするまでが大変だ。取り出した馬の腸をたんねんに水洗いし、包丁でその表面をこそいで脂分を取り除く。さらにそれを切って2、3時間、流れ水に打たせるのだ。

 つづいて桜鍋を食べる。桜鍋とは馬肉のすき焼き。馬肉のことを桜肉ともいう。

 さらにそのあと、カソリの「鉄の胃袋」をフル稼働させ、馬肉のステーキと、馬肉のハムを食べた。

「いたや」では馬肉料理を全部で5品を食べた。

 馬肉料理だけで満腹になったとき、あらためて伊那の馬肉食文化のすごさを感じるのだった。

結論

 伊那谷では、かつてはどの家でも、農耕馬を飼っていた。現役を退いた農耕馬をつぶして食用にしていたのだ。このように伊那谷では馬肉を食用にしてきた伝統がある。

 低カロリー、低脂肪、高タンパク、高グリコーゲンの馬肉は、コレステロール過多の現代人にはぴったりの肉だといわれているが、伊那人は「馬肉は体にいい!」ということを体験的に知っていた。

 伊那人は理屈っぽいけれど、頭はいい。

「東京の大学で、石ころをいくつか投げれば、かならずひとつは伊那谷出身の教授にぶつかる」といわれるほどなのだ。

 伊那谷ではかつては養蚕が盛んにおこなわれていた。製糸も盛んだった。

 そのような伊那谷だから、まゆ玉を大釜で煮立てて生糸をとったあとに残るカイコのサナギも食用にしていた。伊那谷では「サナギ」といえばカイコのサナギを指すほど。今でもカイコのサナギの甘露煮は、伊那谷名物のハチノコやザザムシ、イナゴなどと並んでここではごくあたりまえに売られている。

 ところで養蚕や製糸が盛んだったのは、なにも伊那谷に限らない。だが、日本の他地方ではカイコのサナギを養殖ゴイの餌などにすることはあっても、人間の食用にしているところはない。カイコのサナギは極めて栄養価が高いのにもかかわらず…。

 それは伊那谷名物のハチノコやザザムシでも同様のことがいえる。

 ハチノコはジバチの子だが、伊那谷の業者は遠く東北地方や中国地方にまでハチノコ取りにでかけている。ザザムシも日本のほかの河川でも生息しているのにもかかわらず、それを人間の食用にしているところはほとんどない。伊那谷ではそのほかにもナラやナギの木の根元にいるゴトウムシやセミの幼虫なども食用にしている。

「伊那人のゲテもの食い」
 とよくいわれるのはそのためだ。

 その理由としては、
「伊那谷は海から遠く、まわりが山ばかりで貧しい土地だから」とか、「何でも食べなくてはならなかったから」などと、もっともらしくいわれている。

 しかし、それは大間違いだ。貧しい土地だからゲテものを食ってきたのではない。

 伊那谷で馬肉料理を筆頭に、種々雑多な動物性タンパク源を食用にしてきたのは、伊那人が頭がいいからできたことなのである。それに尽きるとぼくは思っている。

 それら種々雑多な動物性タンパクが体にいいことを伊那人は昔から知っていた。

 これこそ、まさしく生活の知恵、食への知恵、食への好奇心ではないか。伊那人の合理的な精神風土からきていることだとカソリは思う。

 馬肉料理で満腹になった伊那で、
「頭のいい人間は何でも食う!」
 という結論を導き出した。