岡崎の八丁みそ(3)
1986年
「八丁みそ」の作り方を見たくて。「八丁味噌」を訪ねた。すると管理本部長という、いかめしい肩書の田中實さんが案内してくれた。
「私は昔でいうところの番頭でして、何でもやりますよ」
といって笑われたが、論理的で、話が上手で、みそつくりにかけた情熱が伝わってくるような人だった。
角久印で知られる「八丁味噌」は、現(1986年当時)社長の早川久右ェ門氏が何と18代目になるとのことで、創業は室町時代の中期までさかのぼるという。この歴史の古さには驚かされた。
午前中は八丁みそについての様々な話を聞き、午後は原料の大豆が製品になるまでの工程を見せてもらった。
「八丁みそは大豆が命です。それだけに大豆にはこだわっています」
という田中さんのお言葉通り、大豆の選別は厳しいものだ。納入された段階ですでに選別されている大豆だが、それをさらに2度に渡って選別し、丸大豆だけをより分け、ブラッシングする。
今では矢作大豆はもとより、国内産の大豆を手当することも難しく、アメリカ産やブラジル産、中国産の輸入大豆が主になっているとのことだが、それでもできるだけ国内産の大豆を混ぜているという。とくに北海道産の大豆は上質だとのことだ。
選ばれて、磨かれた大豆は、含水率を一定にするため、いったん水に浸される。
それから蒸されるのだ。
大豆を蒸すのが八丁みその大きな特徴だが、蒸煮缶と呼ばれるピカピカのステンレス製の大釜に大豆を入れ、半日、蒸気を送り込む。蒸気を止めたあと、さらにもう半日、そのまま大豆を蒸してふっくらとさせる。
この蒸した大豆を玉握機に通し、握りこぶし大のみそ玉をつくり、それにこうじをふりかける。こうじがみそ玉にまんべんなくかかるように、またこうじの発酵の温床になるように、こうじには香煎(はったい粉)が混ぜられている。
こうじのかけられたみそ玉は室に入れられる。
4日間、35度に保たれた室の中で熟成させる。
それを砕いて細かくし、水と塩を混ぜて攪拌するのだが、混ぜる水と塩の量はみそづくり職人の長年のかんと技に頼っていた。それを今はコンピューターがやっている。
こうして塩と水を混ぜた豆こうじは30石(約5400リットル)の大桶に仕込まれる。人の背丈よりも高い大桶で、吉野杉を使い、竹のたがで締められている。踏み込まれ、漬け込まれたみその上に布をかぶせ、板を敷き、その上に丸みを帯びた川石を重しとしてのせる。ピラミッド形に積み上げられた川石の重量は3トンになるという。
このような仕込み桶がみそ蔵の中にズラリと並んでいる光景は壮観だ。その数は600本ほど。古い桶になると江戸後期のもので、かつては工場内に桶づくりの職人が住み込んでいたという。
大桶に仕込まれた豆みそは3年間、じっくりと、時間をかけて熟成される。
その間に大豆の持っている豊富なタンパク質や脂分は、発酵作用で体内に吸収されやすいような形に分解される。
塩はみその品質を安定させ、日持ちを良くし、味を良くする。
3トンもの重しは漬物と同じで、中に空気をなるべく入れないようにし、みそが均一に熟成するのを助けている。
1本の仕込み桶からは約6トンの八丁みそができる。それは約30万食分で、1人で使ったら700年分にもなるという。
「八丁味噌はつくられたみそではなく。時間をかけて、自然にできあがっていくみそなんですよ」
と田中さんは言われたが、一連の工程を見せてもらうと、まさにその通りだなと思えるのだった。
このようにしてできあがった天然醸造の八丁みそは、豆みその本場の東海地方にとどまらず、日本全国に出荷されている。海外にも輸出されいる。とくに大豆の栄養価の評価が高いアメリカへの輸出は多いという。
豆みそは使う時にすり鉢ですってみそ汁に入れるが、すらないでそのまま入れ、豆の粒々が残っている方が好きだという人もいる。
「八丁味噌」ではすりつぶして漉した豆みそと米みそを合わせた「赤だし八丁味噌」もつくっている。これだといちいちすり鉢でする必要もないからだ。すり鉢を持たない家庭が増えている現在では、この調合みその出荷が増えている。
「赤だしというのは本来、焙烙(ほうろく)で豆みそを焦し、それを布巾につつんで湯に浸し、豆みそのエキスをしぼり出したものなのですよ。それが今では赤みそを使ったみそ汁を指すようになっています」
と、時代の変化をも話してくれた。
一日、つき合ってくれた「八丁味噌」の田中さん、ありがとうございました。