賀曽利隆の観文研時代[76]

下関(18)

1985年

フグの競りを見る

 フグの競りを見たくて、下関駅からバスで南風泊漁港まで行った。

 南風泊漁港には夕暮れ時になると、フグ漁の漁船が次々に入港してくる。

 漁船は50トン前後で、8、9人乗り。フグナワと呼ばれるフグ専用の延縄漁の漁船。地元、下関の船はほとんど見られず、山口県の仙崎、萩、腰ヶ浜や、福岡県の博多、金ヶ崎などの船が多かった。

 フグ漁の漁船は大がかりな装置をつけているので、1隻つくるのに2憶円近い巨費がかかるという。フグは漁民のみなさんにとっても冒険的だ。

 かつての漁場は関門海峡から徳山沖にかけての周防灘や豊後水道、日本海の玄界灘であったが、内海産のフグは減り、今では黄海や東シナ海が主要な漁場になっている。

 年間の漁獲量の内訳を見ると、内海産は500トン前後で、黄海・東シナ海産はその5倍近い。そのほか五島や奄美の養殖フグが500トンほど入ってくる。しかし、養殖フグの値段は天然フグの半値ほどでしかない。

 南風泊漁港の岸壁に接岸した漁船の船底から、生きているフグをいったん市場内の大きな水槽に移しかえる。獲ったフグは生かして南風泊漁港まで運ばなくてはならないのだ。死んだフグは「〆」と呼ばれ、値段が半分から3分の1くらいまで下がってしまう。船中でフグを生かしておくためにも、フグ漁の漁船の装置は、大がかりにならざるをえないのだ。

 このようにして、フグの競りを待つ。

 午前2時を過ぎると、南風泊漁港の魚市場は動き出す。まずは、氷を詰めた発泡スチロールのケースが並べられていく。

南風泊漁港のフグ専用の生簀からトラフグをすくい取る
南風泊漁港のフグ専用の生簀からトラフグをすくい取る

 午前2時50分、くじ引きがおこなわれ、早い順番に当たった船から水槽のフグが引き上げられ、プラスチックのケースに入れられる。それを手押し車で運び、市場の床に広げたビニールのシートに勢いよく転がす。それを手際よく大きさをそろえて並べていく。

 フグの大きさによっても違うが、大きいフグだと1ケースに2,3匹、小さいフグだと2,30匹が入れられる。8割から9割近くがトラフグだ。

 そのあとで市場の係りの人が、ケース内のフグを1匹づつ調べ、オスの数を書いた紙を入れていく。

 フグのオスのことをオン、メスのことをメンといっているが、オンの方が値段が高くなる。というのはメンの真子(卵巣)は有毒で食べられないが、オンの白子(精巣)は好んで食べられるからだ。

南風泊市場に並ぶトラフグ。フグといえばトラフグだ
南風泊市場に並ぶトラフグ。フグといえばトラフグだ

 午前3時20分、市場内にベルが鳴り響く。いよいよフグの競りが始まった。

 赤い帽子をかぶった競り人が、筒形の紺地の布袋に片手を突っ込み、
「さあ、どうか!」
 と、威勢よく仲買人の買い気を誘う。

 仲買人たちは青い帽子をかぶっている、

 布袋の中で、競り人と仲買人の指が絡み合い、フグ1ケースごとの値段が決まっていく。

 買い主の決まったフグはすぐさま、市場の前に並んでいる業者の処理場に運ばれ、さばかれていく。フグの調理師免許を持った人がさばくのだが、ひれを落とし、背と腹の両側に切り口をつけ、尾の方から両面の皮をはぐ。頭を落とし、目を捨て、内臓をとり除く。

 1分、1秒を争うようにしてさばかれたフグは、専用の冷凍コンテナに入れられ、トラックで福岡空港に運ばれる。そして東京や大阪といった大消費地に運ばれる。

 夜が明けると、南風泊漁港には、まったく人気がなくなった。朝日を浴びた漁港と海を見ていると、真夜中の熱気と喧噪がまるで夢でも見たかのように、遠い世界での出来事のように思えてくるのだった。

 下関では毎年、4月29日に「フグ供養」がおこなわれる。祭壇を設け、僧侶が読経し、代表者が弔辞を述べる。

 参加者一同、フグを供養したあと、生簀のフグ、100〜200匹を海に帰してあげる。フグ供養が終わると、下関のフグの季節も終わる。