30年目の「六大陸周遊記」[023]

[1973年 – 1974年]

アフリカ南部編 9 ウインドフック[南西アフリカ]           
      → スワコップムンド[南西アフリカ]

雷雨の中を突っ走る!

 バルワスモータースのみなさんに別れを告げ、ウインドフックを離れた。オカハンジャを通り、北に向かうにつれて、植生はさらに変わる。南の砂漠地帯の風景とは比較にならないほどに、緑が増えてくる。雨期に入っているので、よけいに青々している。動物も多く見られるようになった。カモシカやイノシシ、マントヒヒなどを見る。

ウインドフックからオカハンジャへ
ウインドフックからオカハンジャへ
ゆるやかな山並みを越えていく
ゆるやかな山並みを越えていく

 ウインドフックから180キロ北のオチワロンゴの町に着くと、ガソリンスタンドで給油し、そこのレストランでコーヒーを飲んだ。そのレストランではガッチリした体格の中年の人と知り合う。話がはずみ、彼に夕食をご馳走になった。

 その人はストライダムさん。

「これからグルートフォンテインまで行くけど、もしよかったら、一緒に行かないか」
 と誘われた。

 さっそく地図を見ると、グルートフォンテインはオチワロンゴから220キロ、北東に行ったところにある。すでに日は暮れかかっている。おまけに行く手には黒雲が横たわっている。が、ぼくは一緒に行くことに決めた。おもしろいではないか。

 彼は新車のクライスラーに乗っている。140キロから150キロで走るので、ついていくのがやっとだった。

 やがて真っ黒な雲の中に突っ込んでいった。猛烈な雷雨。あっというまにズブ濡れになる。やがて土砂降りの雨になり、雨滴がまるでガラスのように顔に突き刺さってくる。大空を駆けめぐる稲妻がまぶしいくらいに光る。ストライダムさんはスピードを落とさないので、ついていくのがよけいに大変。雷雲を抜け出たころにはすっかり夜になっていた。

 オチワロンゴから115キロ走ったオタビでアンゴラ国境に通じている国道を右折し、グルートフォンテインへの道に入っていく。きれいに舗装されたハイウエー。路面が濡れているのでツルッと滑り、怖くなってくる。GT550のヘッドライトはそれほど明るくはないので、懸命になってストライダムさんの車の尾灯を追った。

 やっとグルートフォンテインに到着。しかし、ストライダムさんの車は町を走り抜け、軍のキャンプ地に入っていった。一瞬、ギクッとする。もしかして自分は疑われているのではないかといった疑問が頭をかすめた。

 幸いにして、それは杞憂でしかなかった。ストライダムさんはミリタリーポリスのサージャントで、部下が何人もいる身分。軍服をかしてもらった。グッショリ濡れた服を脱いでそれに着替える。熱いコーヒーを入れてもらい、やっと一息ついた。

 ランプの灯るテントで、ストライダムさんを交え、何人かの兵士たちと話した。全員が白人兵で黒人兵は1人もいなかった。グルートフォンテインは南西アフリカ北部の重要な基地で、アンゴラとの国境地帯やザンビアと国境を接している細長く延びたカプリビ・ジペール一帯を警備する拠点になっている。

 ストライダムさんはキャラバンカーも持っている。ベッドやキッチンの備えつけられた立派なものだ。「ここで寝たらいい」と、寝る用意をしてくれた。ホテルで泊まるようなもの。ついいましがたまで、激し雷雨の中を突っ走ってきたのがまるでうそのような快適さだった。この落差の大きさがなんともいえない旅の魅力なのだ。

世界一の隕石

 翌朝は兵士のみんさんと一緒に朝食を食べ、ストライダムさんや兵士のみなさんの見送りを受け、軍のキャンプ地を出発。ここには世界最大の隕石があるとのことで、グルートフォンテインの町から30キロほどのホバ農場に行った。この農場に世界一の隕石があるという。農場の入口には料金所があり、そこで30セント払って農場内に入った。

 世界最大の「ホバ隕石」を見たときは、「なんだ、隕石といったって、ただの岩と変わりがないではないか」と思った。それは直径3、4メートルの岩で、どの程度、地中にめりこんでいるのかは、見た目ではわからない。

 しかし、表面を削りとられた跡を見てビックリした。ピカピカに光っている。

「この岩は金属の固まりなのだ」ということがわかった。ホバ農場のホバメテオライトは見つかっている隕石の中では世界最大で、重量は5万4422キログラム。成分の93パーセントが鉄で7パーセントがニッケル、その他、微量の銅、コバルト、クロームが含まれているという。

 この隕石は20世紀の初めにブリッツという人が発見したもので、すぐに世界に知れ渡るところとなった。ブリッツさんは後にホバ農場の農場主になったとのこと。この隕石がいつごろ落ちてきたものかはわかっていない。それにしても、5万トン以上もの金属質の隕石が落ちたときは、ものすごい音だったことだろう。

 ホバ隕石の上に座りながらぼくは宇宙の不思議さを想った。この宇宙のどこかには鉄だけでできた星、ニッケルだけでできた星、金や銀だけでできた星があるかもしれないと、そんな夢のようなことを考えた。

世界最大の「ホバ隕石」
世界最大の「ホバ隕石」

 世界では1500個ほどの隕石が確認されているという。そのうち落下が目撃されたのは半分ほど。日本にも30個ほどの隕石があるそうだ。大きな隕石というと、このホバ隕石のほかにはグリーンランドのケープヨーク隕石(36トン)、メキシコのバキュビリト隕石(28トン)などがあるという。ところで隕石には3種類、あるそうだ。文字どおりに石から成るものと、ホバ隕石のようにほとんどすべてが金属からなる隕鉄と、その中間のものである。

 ホバ隕石でおもしろかったのは、隕石を説明する案内板だった。最初はアフリカーンス、次に英語、最後がドイツ語だった。この順序が南西アフリカでの言葉の強さの順序であるように思われた。

アンゴラ国境へ

 ホバ農場からグルートフォンテインの町に戻った。今にも泣きだしそうな空模様。灰色の雨雲がどんよりと垂れ込めていた。同じ南西アフリカでも、雲ひとつない青空の、猛烈な暑さの南とはずいぶん違う。グルートフォンテインからは70キロほど北西の鉱山町、ツメブに向かった。その途中では雨に降られたが、幸いにもツメブに着くころにはやんだ。南西アフリカの主な産業といえば鉱業だが、その中心はオレンジ川の河口周辺のダイヤモンドと、このツメブ鉱山の銅、亜鉛、鉛だ。

 ツメブからはアンゴラ国境に通じる国道を行く。じきにオジコト湖を見る。神秘的な湖で、藍色がかった濃い緑色の湖には吸い込まれそうになる。第一次世界大戦中、南アフリカ軍に追われたドイツ軍はこの湖に大砲や武器を捨て、逃げたという。

オジコト湖
オジコト湖

 さらに北へ。エトシャ・ナショナルパークの東端を通り、アンゴラ国境近くのオンダングワの町まで行った。ここからアンゴラ国境までは60キロほどでしかない。

「また、いつの日か、南西アフリカとアンゴラの国境を越えてやる!」
 と、アンゴラへの思いを馳せ、オンダングワで引き返し、ツメブへ。さらにオタビを経由し、前日、ストライダムさんと出会ったオチワロンゴまで戻った。

ナミブ砂漠の岩壁画

 オチワロンゴからナミブ砂漠に向かっていく。アウトジョの町を過ぎ、西に進むにつれて乾燥した風景に変わっていく。コリサスという小さな町がナミブ砂漠の入口。ここまで来ると、もう雨期も乾期も関係ない。東の方向には雨雲がべったりと張りついているが、コリアス上空の空には雲ひとつない。西の方向は快晴だ。

 コリアスの修理工場を兼ねたガソリンスタンドで給油し、いよいよナミブ砂漠に突入していく。峠を越えると、前方には乾燥した荒野が広がり、熱風が吹き荒れている。舞い上がる砂塵で視界も悪くなる。

 南西アフリカのナミブ砂漠は大西洋岸の南北の細長い砂漠で、北はアンゴラ国境から南は南アフリカ国境まで1300キロあまりもつづいている。東西の幅は狭く、最も狭いところだと50キロほど、広いところでも150キロほどでしかない。

南西アフリカ北部の荒野。アリ塚が多い
南西アフリカ北部の荒野。アリ塚が多い

 コリアスからはブッシュマンの岩壁画(ロックペインティング)で知られるトゥワイフェルフォンテインに向かった。そこには全部で3000もの岩壁画があるという。

 その途中では「化石の森」に立ち寄った。背の低い木がまばらにはえた平原には、石化した木の幹やその断片が散乱している。それらの石化した木々は2億年以上もたっているという。乾ききった平原の向こうには、なだらかな山々が連なっている。人一人いない荒涼とした「化石の森」にたたずんでいると、2億年という気の遠くなるような年月が、わずかながらも実感できるようだった。

「化石の森」
「化石の森」
「化石の森」
「化石の森」

 トゥワイフェルフォンテインに近づくと、黒々とした岩山が多くなる。山々に緑はまったく見られない。

トゥワイフェルフォンテインへの道
トゥワイフェルフォンテインへの道

 トゥワイフェルフォンテインに到着。しかし、岩壁画を探すのは容易なことではなかった。よく知っている人の案内があれば別なのだが…。さんざん歩きまわり、それでもいくつかの岩壁画を見ることができた。その多くは岩影にあった。キリンやサイ、カモシカ、ダチョウなどの野生動物が描かれていた。牛の絵もあった。あるものはすっかり風化し、またあるものは心ない人たちによって削り取られていたが、なかにはじつに色鮮やかなものもあった。

ブッシュマンの「岩壁画」があるトゥワイフェルフォンテイン
ブッシュマンの「岩壁画」があるトゥワイフェルフォンテイン
ブッシュマンの「岩壁画」があるトゥワイフェルフォンテイン
ブッシュマンの「岩壁画」があるトゥワイフェルフォンテイン
ブッシュマンの「岩壁画」があるトゥワイフェルフォンテイン
ブッシュマンの「岩壁画」があるトゥワイフェルフォンテイン

 トゥワイフェルフォンテインからコリアスに戻ると、大西洋岸のヘンティースベイに向かう。その途中では有名な岩壁画(ロックペインティング)の「ホワイトレディー」を見に行った。南西アフリカの最高峰ブランドバーグ山(2573m)の山麓にある岩壁画。駐車場から1時間ほど山道を歩いたところにあるが、岩に印された白い矢印をたどっていけばいいので、間違えることなくたどりつけた。そのあたり一帯には大岩がゴロゴロしている。そのひとつが屋根のように張り出した内側に「ホワイトレディー」はあった。

矢印に従って「ホワイトレディ」を見に行く
矢印に従って「ホワイトレディ」を見に行く

 躍動感にあふれる岩壁画で、「ホワイトレディー」は右手に花を持ち、左手には弓矢を持っている。胸から下が白く描かれているので「ホワイトレディー」と呼ばれているが、「ホワイトレディー」はどう見ても女性ではなく男性だ。

「ホワイトレディー」をあとにし、白いボタ山が目をひくチタン鉱山のあるウイスで給油し、太平洋岸のヘンティースベイの町に向かった。

コニングステイン山系の山並み
コニングステイン山系の山並み
ウイスの白いボタ山
ウイスの白いボタ山
バイクのトラブル…

 ウイスを過ぎると、ナミブ砂漠は砂漠らしい風景になる。どこを見ても、背の高い木々は見られない。一面に砂と小石がばらまかれたような砂漠の風景で、その中に点々と地を這うような草木が見られるだけだ。大西洋に近づくにつれて、気温がどんどんと下がってくる。寒流のベンゲラ海流の影響だ。

大西洋岸のナミブ砂漠
大西洋岸のナミブ砂漠

 ウイスを出てからというもの、バイクの調子が悪い。南アフリカのヨハネスバーグを出発して以来、初めてのトラブル。まだスパークプラグを一度も交換していないので、きっとそのせいだろうと思った。バイクを止め、スパークプラグを交換する。だが、調子が悪いのは、スパークプラグのせいではなかった。走りはじめると、またすぐにバイクを止めなくてはならなかった。今度はポイントを見る。しかし、ポイントのタイミングは合っているし、ポイントの表面も、それほど荒れてはいない。仕方なく走りだしたが、エンジンはブスブスいって、さらに調子悪くなる。

 人一人いないナミブ砂漠でのトラブルなだけに、心細くなってくる。やっとの思いで大西洋岸に出た。冷たい風が吹き荒れ、海面には白い波頭がたっている。

 ヘンティースベイから大西洋岸の道を南下。バイクをだましだまし走らせ、スワコップムンドの町に着いた。ガソリンスタンドに行き、そのすみをかりてバイクの修理。キャブレターを外し、エアーを吹きつけ、掃除する。キャブレターを取り付け、エンジンをかけようとしたときのことだ。ぼくは「あっ!」と声を上げてしまった。バイクのトラブルの原因がわかったのだ。なんとチョークが引かれたままになっているのだ。つまり濃すぎるガソリンがエンジンの中に流れていた訳である。

 ウイスのガソリンスタンドで給油したとき、大勢の町の人たちが集まり、バイクを囲んだ。バイクに乗った日本人が珍しかったのだろう。そのときの一人がチョークを引いたのに違いない。チョークを戻してエンジンをかけると、GT550はなにもなかったかのように、いつもどおりのエンジン音をあたりに響かせた。