アフリカ大陸縦断 2013年〜2014年(2)
砂漠で雨に降られるの?

 2014年1月1日。第5番目の国ジンバブエのビクトリア・フォールズの町には昼まで滞在した。町を歩き、スーパーマーケットやみやげ物店を見てまわり、町中のレストランで昼食。「ライス&ビーフ」を食べた。昼食代は2ドル(約200円)。クシャクシャの1ドル札2枚で食事代を払った。ドルはアメリカドルだ。

 まもなく90歳になろうかというムガベ大統領の独裁がつづくジンバブエの経済は破綻し、自国の通貨は崩壊。そのためアメリカドルを使っている。それ以前の通貨はみやげ物屋で売っている。信じられないことだが「ビリオン(10億)」紙幣があるのだ。1ビリオン紙幣は10憶ドル、5ビリオン紙幣は50億ドルということになり、数字の0がズラズラズラッと並んでいる。

 現在、ジンバブエで流通しているアメリカドルの紙幣は国内では使えても、他国ではまず使えない。両替しようとしても替えてもらえない。それほどボロボロのドル紙幣なのである。信じられないような話だが、世界にはこういう国もある。

 ビクトリア・フォールズの町を出発。ボツワナ国境をめざしてザンベジ川の南側の道を行く。路面には象の巨大な糞がドサッ、ドサッと落ちている。まだ新しい。道を横切るかもしれない象には最大限の注意を払ってDR−Z400Sを走らせた。と同時に、象に出会えるかもしれないという期待感もあった。

 ビクトリアフォールズの町から70キロで、国境の町カズングラに到着。幸いにもというべきか、残念ながらというべきか、この間では象との遭遇はなかった。カズングラは世界でも唯一の4国国境。ザンベジ川の中央でジンバブエ、ボツワナ、ザンビア、ナミビアの4ヵ国が接している。

  • ビクトリア・フォールズのキャンプ場
    ビクトリア・フォールズのキャンプ場

 ジンバブエの出国手続きとボツワナの入国手続きを終え、第6番目の国ボツワナに入った。ボツワナ側の国境の町もカズングラ。この町の中国人の店で両替してもらった。1ドルが8プーラ(1プーラは約12円)。中国人の店はかなり大きな雑貨屋でレジは若い中国人女性。辺境の地に根をおろしている中国人のすごさを感じてしまう。

 ボツワナの通貨、プーラを手に入れると、さっそくショッピングセンターのファストフード店でパパとフィッシュ&チップス、肉汁を買って食べた。パパはトウモロコシの粉を熱湯で練り固めたもの。それを肉汁と一緒に食べる。ケニア、タンザニアのウガリ、マラウィ、ザンビア、ジンバブウェのシーマと同じものだ。

 カズングラからは無人の荒野を300キロほど走ってナタへ。その間では何度も象を見た。10頭近い群れも見た。最初のうちは「おー、象だ、象だ!」とDR−Z400Sに乗りながら歓声を上げていたが、そのうちに慣れてしまい、あたりまえの光景になった。「カズングラ→ナタ」間では、全部で20数頭の象を見た。

 ナタでひと晩泊まり、ナタからはカラハリ砂漠の北縁を走る「トランス・カラハリ・ハイウェイ」でナミビア国境に向かっていく。交通量は極少。制限速度は120キロ。走り出してまもなく雨になる。「何で砂漠で雨に降られるの?」と思わず声が出る。しかし、このあたりは砂漠とはいっても12月から3月にかけてが雨期で、それもかなりの量が降る。青々と茂る街道沿いの草木がそれを証明していた。

 ナタから320キロ走りマウンの町に到着。郊外の「シタトゥンガ・キャンプ場」に泊まった。雨中のキャンプ。翌日も朝から雨が降っている。このあたりは南緯20度で熱帯圏なのだが、冷たい雨に降られ、体はすっかり冷え切ってしまう。途中のガソリンスタンドでは、レストランの屋根の下でしばしの雨宿り。カラハリ砂漠でこれだけの雨に降られるとは…。

 マウンから280キロのハンジでは「ホテル カラハリ」に泊まった。これが屋根のありがたさというもので、部屋の中を満艦飾りにして濡れたウエアやブーツなどを干した。

  • ボツワナに入ると象との出会いが待っていた!
    ボツワナに入ると象との出会いが待っていた!

 ハンジを出発した日も朝から雨…。この日はナミビアの首都ウイントフックまでの長距離を走るのでまだ暗い5時に朝食を食べ、6時に出発。「トランス・カラハリ・ハイウェイ」を西へ、西へと走る。雨をついて110キロ走ると国境に到着。ボツワナの出国手続き、ナミビアの入国手続きを終えて第7番目の国ナミビアに入ったのは11時。国境通過で1時間半、かかった。国境のレストランで昼食。「パパ&ビーフ」を食べた。ナミビアでもボツワナと同じように、トウモロコシの粉を熱湯で練ったものをパパという。

 昼食を食べると、「トランス・カラハリ・ハイウェイ」をさらに西へ。ナミビアでもカラハリ砂漠北縁のこの道を「トランス・カラハリ・ハイウェイ」といっている。国境から120キロ行ったゴアビスの町は、すごいことになっていた。降りつづく大雨で水があふれ、道路は冠水していた。町中水びたし。それはまるで「砂漠の洪水」といった光景だ。

 ナミビアの首都ウィントフックに近づくと、ついに雨雲は消え去り、青空が広がった。ウイントフック国際空港の近くまで来たところでバイクを止め、我々は雨具を脱いだ。雨具を脱ぐときのうれしさといったらない。

 16時30分、ウィントフックに到着。中心街を走り抜け、郊外の大規模なリゾート施設「アレブッシュ・ロッジ」のキャンプ場にテントを張った。「アレブッシュ・ロッジ」のレストランで夕食。我々はビールを飲みながら、「砂漠の大雨」談義でおおいに盛り上がるのだった。

 ナミビアの首都ウイントフックから370キロ走って大西洋岸の町スワコップムントに到着。ここはナミブ砂漠の町だ。海岸のキャンプ場「アルテブリュッケ」に連泊した。日が落ちると寒くなるほど。空には三日月が見える。夕食を食べたあとは薪を買って焚火をする。焚火用の薪といっても安くはない。1袋50ナミビアドル。日本円だと約500円。砂漠の町なのだからそれも当然か。焚火にあたりながらナミビア産のビール「ウイントフック」を飲んだ。1本10ドル(約100円)。ここでは韓国人の旅行者に出会った。彼は車でロシアのウラジオストックを出発。シベリアを横断し、中東のヨルダンから船でケニアのモンバサに渡ってここまでやってきた。ケープタウンがゴールで10ヵ月の旅を終えるという。

 翌日はスワコップムントから北に130キロのケープ・クロスに行く。大西洋岸のナミブ砂漠の道は塩で固めた高速ダート。DR−Z400Sのアクセル全開で走ったが、舗装路以上に快適に走れる。世界にはこんな道もある。

 北はアンゴラ国境から南は南アフリカ国境まで、大西洋岸沿いに1300キロもつづくナミブ砂漠は南北に細長い砂漠。東西の幅は狭いところだと50キロ、広いところでも150キロほどでしかない。

 ケープ・クロスの海岸では15万頭以上もいるというアザラシの大群を見た。我が目を疑うような光景。踏みつぶされて死んだアザラシの赤ちゃんを何頭も見る。ちょっといたましい光景だが、これが自然の摂理。ケープクロスは「世界の驚異」だ。

  • ナミビアに入って食べた「パパ&ビーフ」

 スワコップムントのキャンプ場「アルテブリュッケ」に戻ると、翌日は遥か南のケープタウンを目指して出発する。40キロほど先のウオルビスバイの町を過ぎると幅広のダートに突入。路面は整備され、けっこう固く締まっているので高速で走れる。ただし砂溜まりなどでハンドルをとられると、そのまま吹っ飛んでしまうので要注意。強烈な日差しを浴びながら走るので、頭がクラクラしてくる。乾いた熱風をまともに受けて走るので、あっというまに口びるが割れ、のどがひきつるように痛んでくる。

 南回帰線に到達。ここには「Tropic of Capricon」の表示。我々はその前にバイクをズラリと並べて記念撮影をした。南緯23度26分の南回帰線は熱帯圏と温帯圏を分けているが、南回帰線を越えて南下しても、ジリジリと大地を焼き尽くすような日差しの強さは変わらない。

 スワコップムントから375キロ走ると、ナミブ砂漠観光の拠点「セスリエム・キャンピング」に到着。翌朝は「デューン45」と呼ばれる砂丘を登った。砂丘のてっぺんに立つと、山の端から朝日が昇った。朝日を浴びて金色に輝く砂丘の美しさにはもう大感動。しばらくは砂丘のてっぺんに座り込み、刻一刻と移り変わっていく色の変化を眺めつづけるのだった。

 ナミブ砂漠を南下する。アメリカのグランドキャニオンと並び称されるフィッシュリバーキャニオンと、ナミビアで一番の温泉といわれるアイアイ温泉に寄り、国境のオレンジ川を渡る。ナミブ砂漠の1000キロ超のダートを走り切り、南アフリカに入った。ここからはケープタウンまでの全線が舗装路になる。

  • 灼熱の南回帰線に到達!
    灼熱の南回帰線に到達!

 アフリカ大陸最南端のアグラス岬に到着。岬の突端には「アフリカ大陸最南端」碑が建っち、それには「あなたは今、アフリカ大陸最南端の地に立っています」と英語と南アフリカの公用語のアフリカーンスで書かれている。目の前の青い海に別に線が引かれている訳ではないが、ここで右手の大西洋と左手のインド洋の2つの大洋に分かれる。アグラス岬に立っていると、まるで地球を手玉にとっているかのような壮大な気分を味わうことができた。

 アグラス岬から200キロ走ってついにケープタウンに到着。ナイロビを出発してから28日目、7232キロを走ってのケープタウン到着だ。

 我々の旅はまだつづく。ケープタウンからさらに南へ80キロ走り、ケープ半島南端の喜望峰へ。道の尽きる地点には「CAPE OF GOODHOPE 18°28′26″EAST 34°21′25″SOUTH」の碑が立っている。岬突端の岩場に立つと、真っ青な大西洋に向かって「ウォォォー」と雄叫びをあげた。

 17歳の夏の日が思い出されてならなかった。

「アフリカに行こう!」と思い立った「あの日」のシーンが、まざまざとまぶたに浮かんでくる。高校の地理の地図帳の「アフリカ」を開き、ケープタウン(南アフリカ)とアレキサンドリア(エジプト)を結び、定規でピーッと赤線を引いた「あの日」のシーンだ。「よーし、この線でもって、アフリカ大陸を縦断しよう」と17歳のカソリは、固く決心した。その決心通り、20歳のときに「アフリカ大陸縦断」に旅立ったのだった。

 名残おしい喜望峰に別れを告げ、我々はケープタウンに戻った。これにて「アフリカ大陸縦断」は終了。ナイロビからの距離は7395キロになった。「ナイロビ→ケープタウン」の全行程をノントラブルで走りきってくれた相棒のDR−Z400Sには、「ほんとうによく走ってくれた。DRよ、ありがとう!」と心からのお礼をいった。さー、次は「アフリカ大陸縦断」の後編だ。いつの日か、「ナイロビ→アレキサンドリア」を走ろう!

  • 南アフリカの国道7号を南下
    南アフリカの国道7号を南下