目指せ、エアーズロック! 1993年

「エアーズロック」の一言がぼくをとらえた

 菊地優さんは長い旅から帰ると、旅行社で仕事をするようになった。その旅行者というのが「道祖神」。社長の熊沢さんはぼくと同年代で、1960年代に「サハラ砂漠縦断」をなしとげたようなアフリカ大好き人間だ。「道祖神」には何度か便宜をはかってもらい、航空券などを手配してもらった。

 そんないきさつがあったので、「道祖神ツアーで一緒に走りましょうよ」という電話をもらったあと、菊地さんに会った。

 すると菊地さんに「カソリさん、エアーズロックまでのダートを一緒に走りましょう!」と言われたのだ。

「エアーズロック」の一言がぼくの胸を強烈にとらえた。

 バイクツアーがどういうものなのか、参加者のみなさんと一緒に走るということがどういうことなのか、そんなことは一切考えずに、「行きましょう!」と、即答した。

 オーストラリアの中央部にそそり立つ世界最大の一枚岩の「エアーズロック」は今でこそ一大観光地になり、道路が整備されて行きやすくなっているが、1973年にヒッチハイクとバイクでオーストラリアを2周したときは、そう簡単に行けるようなところではなかった。

 オーストラリアの中央部をアデレードからダーウィンへと南北に縦断する幹線のスチュワートハイウエイも、南半分がダートだったような時代だ。

 そのときぼくはエアーズロックに行きたい一心で、ヒッチハイクでの「オーストラリア一周」の時には、スチュワートハイウエイとの分岐点で24時間、寝ずに車を待った。その間にエアーズロック方面に行った車はわずか数台。結局、乗せてもらえないままにエアーズロックを諦めた。

 次にバイクでオーストラリアを一周した時は、北のテナントクリークからアリススプリングス経由でエアーズロックに向かおうとしたのだが、往復2000キロ、その間のガソリン代を考えると「無理だ…」と判断して断念した。

 何しろ、そのときは宿泊費には一銭も使わない(使えない)ような極貧旅行で、それで「六大陸周遊」を目指したのだから仕方ない。

「豪州軍団」結成!

 エアーズロックに行けずに悔しい思いをしてから20年後の1993年7月5日、ついにその夢を実現させる時が来た。「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」シリーズの第1弾となる「目指せ、エアーズロック!」の出発の日を迎えた。

 参加者は13名。成田空港で出会ったときから大盛り上がりで、メンバーと「豪州軍団」を結成し、成田空港からオーストラリア東海岸のブリスベーンに飛んだ。

 ブリスベーンを出発点にしてレンタバイクのDR350やセローで西へ、大陸中央部のエアーズロックを目指した。

 大分水嶺山脈の峠を越え、ダートに突入した時は気分が高揚し、舞い上がった。

 先頭を走っていたカソリは走りやすいところをあえて外し、路肩近くの砂深いルートに突っ込んだ。

 気の毒だったのは参加者のみなさん。

「カソリさんが選んだルートだから、きっと走りやすいに違いない」
 と砂道に突っ込み、砂にハンドルをとられて吹っ飛んだ。

 とくに「ターク」こと目木正さんや「お水」こと小船智弘さんはひどい打撲でサポートカーに乗ることになった。

 我々はすごくラッキーだったのだが、上原和子さん、増山陽子さん、錦戸陽子さんの3人の女性ライダーが参加していて、そのうち上原さん、錦戸さんのお2人が看護師。そのおかげでタークとお水は美人看護師の手厚い看護を受けた。

 ダートに突入して目の色を変えたのは坂間克己さん。アクセル全開で走っていてもも、すぐ後ろまで迫ってくる。100キロ以上で走っていたので、ギャップにはまったときなどは、「ウヮーッ!」と、絶叫モードで吹っ飛びそうになる。それでもバトルをつづけた2人。このバトルのせいで(おかげで)、後に坂間さんが結婚する時は仲人をすることになる。カソリ夫妻にとっては初めての仲人経験だ。

それでも行く!

 530キロのロングダート、「バーズビルトラック」入口のバーズビルに着いた時は、いやなニュースを聞いた。砂漠同然のこのあたりで記録的な大雨が降ったという。

 こういうときは瞬時の決断が必要だ。できるだけの情報を集め、「行ける!」という判断を下すと、「さー、突破してやるゾ!」と、雄叫びを上げてマリーの町を目指した。

 すさまじい洪水の光景。大平原が一面、水びたしになっている。ダートもグチャグチャヌルヌル状態。バイクは泥団子。氾濫した川渡りが大変だ。濁流の中で転倒し、あわやバイクごと流されそうになったこともある。水をかぶったせいでエンジンのかからなくなったバイクが続出し、そのたびに押し掛けした。

 それでも行くのだ、エアーズロックを目指して!

 530キロの洪水と泥土の「バーズビルトラック」を走りきってマリーに着いて大喜びした我ら「豪州軍団」だったが、その喜びもつかのま、スチュワートハイウエイまでの610キロのロングダートの「ウーダナダッタトラック」も大雨にやられ、ズタズタの状態だと聞かされた。

 だが、洪水と泥土にすっかり慣れたメンバー全員は、「目指せ、エアーズロック!」を合言葉に、「ウーダナダッタトラック」も走り切った。そしてスチュワートハイウエイのマルラに着いた。ここまで来ればもう大丈夫。あとは舗装路だ。

 マルラではキャラバンパークでキャンプしたが、その夜は大きな難関を突破した喜びを爆発させ、焚き火を囲んでの大宴会になった。カンビールをガンガン飲み干し、さらにワイン、ウイスキーと、あるものすべてを飲み尽くした。おかげで翌日は割れるように痛む頭をかかえてバイクに乗ることになった。でも、それがまたすごくよかった…。

 ブリスベーンを出発してから7日目、ついにエアーズロックに到達。西日を浴びたエアーズロックは真っ赤に染まっていた。夢が現実になった瞬間。ここまでの道のりが厳しかっただけに、エアーズロックに到達した喜びにはひとしおのものがあった。全員で日が暮れるまでエアーズロックを見つづけた。日が沈む直前のエアーズロックは、まるで炎をたぎらせ燃え盛るかのように赤かった。

 翌朝はまだ暗いうちにキャンプ場を出発。今度は地平線に昇る朝日を浴びたエアーズロックを眺め、そして急勾配の岩肌に這いつくばるようにしてエアーズロックを登った。全員で標高867メートルの頂上に立った時はまさに感動の瞬間。我ら「豪州軍団」は、山頂でシャンペンをあけて乾杯した。エアーズロックの山頂からは360度の大展望。スパーッと天と地に切り裂いた地平線。大平原がはてしなく広がっていた。

  • ブリスベーンを出発
    ブリスベーンを出発