タクラマカン砂漠一周 1994年
夢をついに実現させた!
人間は夢見る動物だ。夢を見て、夢を追いつづけてこその人間。夢を見なくなったときは人間廃業といってもいい。「夢」を「憧れ」に置き換えてもいい。これは年齢には関係のないことで、年をとっても夢を見つづけている人もいるし、まったく夢を見ない若者もいる。
1994年の「タクラマカン砂漠一周」は、ぼくにとってはまさに子供の頃からの夢だった。小学校4年のときのことだ。国語の教科書にスウェーデンの探検家、スウェン・ヘディンの「タクラマカン砂漠横断記」が載っていた。命がけで大砂漠を越え、ホータン川の河畔にたどり着くまでの物語は、子供心にも胸が熱くなるほどに感動的だった。それ以降、学校の図書館にあった小供向けの「中央アジア探検記」を夢中になって読んだ。
タクラマカン砂漠に憧れてから30数年後のことだ。「道祖神」のバイクツアー「賀曽利隆と走る!」シリーズの第2弾目で、その夢をついに実現させた!
縦断から一周へ
ホータン川沿いにバイクを走らせ、タクラマカン砂漠を縦断しようという冒険行。成功すれば、世界でも初となる快挙だ。このバイクツアーには12名のみなさんが参加した。
我々は「新疆軍団」を結成して1994年9月21日に日本を出発。北京経由で中国・新疆ウイグル自治区の中心地、ウルムチに飛んだ。ウルムチからはさらに天山山脈南側のアクスに飛んだ。プロペラ機の小さな窓から見下ろす天山山脈の雪山は目の底に焼きついた。
バイクツアーの出発点となったアクスは、シルクロード(天山南路)の要衝の地。ここでは中国側のスタッフが我々を待ち構えていた。トヨタのランドクルーザー3台、ニッサンのピックアップ1台、我々の乗るバイクを積んだトラックが1台。バイクは新疆モーターサイクル協会の所有するホンダのモトクロッサーのCR80、CR125、CR250。このような大部隊でアクスからホータン川沿いに南下し、崑崙山脈北麓のホータンを目指すのだ。その距離は700キロになる。
我々は長い隊列を組んでタクラマカン砂漠に突入した。土けむりを巻き上げながら走り、そしてタリム川の大湿地帯に入った。赤っぽいタマリスクやトゲの多いラクダ草を見る。「タリム川」や「タマリスク」といえば、中央アジアの探検記には必ず登場するので、その実物を目にして感動した。
タリム川の大湿地帯突破は大きな難関。この地点で北の天山山脈から流れてくるアクス川と西のパミール高原から流れてくるカシュガル川、南西のヒンズークッシュ山脈から流れてくるヤルカンド川、南の崑崙山脈から流れてくるホータン川が合流し、タリム川になる。
だが何日か前に崑崙山脈に降った大雨で、なんとタリム川の大湿地帯は水びたしになっている。なんということ。日本でいえば中国地方に降った大雨で関東平野が水びたしになるようなものだ。
「何としても、このタリム川の大湿地帯を突破してやる!」
と、必死になってCR250を走らせ、大湿地帯を突破できそうなルートを探したが、そのどれもが大湿地帯の水の中に消えた。
「万事休す!」
中国側スタッフはタクラマカン砂漠縦断は不可能なので、アクス周辺のタクラマカン砂漠を走りましょうと提案してきたが、とても飲める案ではない。
「何としてもホータンまで行きたい!」
という参加者全員の同意をとりつけ、「道祖神」の菊地優さんに中国側との交渉をしてもらった。その結果、我々はタクラマカン砂漠の西半分を一周するルートでホータンに向かうことになった。
ということで、天山山脈の南麓を走るシルクロードの「天山南路」を行く。
右手には天山山脈の山並みがどこまでもどこまでも延々とつづいている。中国西端の町、カシュガルの手前で左に折れ、世界第2の高峰K2から流れてくるヤルカンド川沿いに走り、ヤルカンドの町で崑崙山脈北麓の「西域南道」に入った。
ヤルカンド周辺のオアシス群を抜け出ると、道の両側にはタクラマカン砂漠の砂丘地帯が茫々と広がっている。アクスを出発してから5日目、我ら「新疆軍団」は1000キロを走り、崑崙山脈山麓のオアシス、ホータンに到着。ここで日本に帰る「新疆軍団」のみなさんを見送った。
砂漠一周、3000キロ
一人になったカソリは中国人スタッフとともに「タクラマカン砂漠一周」の東半分のルートを走る。ニヤ、チェルチェン、チャリクリクと崑崙山脈の北麓を走り、天山山脈南麓のコルラ、トルファンを経由してウルムチを目指すのだ。
その途中の「ニヤ→チェルチェン」間では、アクシデント発生。なんとサポートカーのニッサンのピックアップが走行中に爆発炎上。車はあっというまに猛烈な炎に包まれた。
幸いにも死傷者は出なかったが、そこからはトヨタのランドクルーザーと一緒に走る。
日が暮れてからが大変。まったく保安部品のついていないCRなので、当然のことながらヘッドライトもない。ランドクルーザーの前を走ったが、真っ暗闇の中をライトなしで走る怖さといったらない。チェルチェンに到着したのは真夜中で、もうグッタリだった。
翌朝、中国人のスタッフに「カソリさん、予定通りウルムチまで行きますよ」と言われたときは驚いた。朝食後、チェルチェンの町を駆けまわり、2サイクルオイルをみつけた。新たなジェリカンも手に入れ、予備のガソリンを確保した。こうしてチェルチェンを出発したのだ。
「チェルチェン→チャリクリク」間では、タクラマカン砂漠に消えていくタリム川の最先端部を見た。全長2000キロを超える大河は、最上流部の水量が一番多く、最下流部になると水がなくなり、砂漠の中に消えてしまう。世界にはこういう川もあるのだ。
ホータンから2000キロを走ってウルムチに到着。全行程3000キロの「タクラマカン砂漠一周」、終了。
夢のタクラマカン砂漠を走ったことによって、シルクロードにはますます心ひかれた。それから12年後の2006年には古都、西安を出発点にして天山南路を走り、パミール高原を越え、トルコのイスタンブールまでのシルクロードを走破することになる。