2011年5月31日

「平等国民小学校」を訪問する

 東西横断公路の梨山から国道7号を北へ。20キロほど行った環山の町でTEKKENを停め、「平等国民小学校」を訪問する。立派な建物の小学校。ここでは39名の全校生徒が出迎えてくれた。台鈴の李さんは文房具の贈物を校長先生に手渡した。校長先生は歓迎の言葉を述べられ、学校内を案内してくれた。

 環山は山地民タイヤル族の町。生徒たち全員がタイヤル族の少年少女だ。高学年の生徒たちは、今日のために色鮮やかな民族衣装に着替えてくれている。一緒に町の中心の広場まで行き、そこでタイヤル族の歌を聞かせてくれた。伝統的な踊りも見せてくれた。

 驚いたのはそのあとだ。

 町の年配の人たちは、きれいな声で日本語の歌を歌ってくれた。初めて聞く歌だったが、みなさんの日本語はわかりやすかった。そんな歌を小学生と一緒になって聞いたが、日本人が環山に来てくれたということで、何人かの人たちは「懐かしい」といって涙を流した。

 そのあと校長先生の案内でタイヤル族の民族資料館を見学する。木の家と石の屋根。高床式の穀物庫。館内には粟穂やトウモロコシ、ひょうたんがぶらさがり、壁には動物の毛皮が貼られていた。ここでは粟作を中心とする畑作農耕だけでなく、狩猟も盛んにおこなわれたという。民具や織物、伝統的な衣装を見てまわった。

 小学校に戻ると、生徒たちと一緒に給食をいただいた。何とも楽しい時間。「平等国民小学校」を離れるときは、校門の前で先生方と記念撮影。若い女性の先生に「一目で、TEKKENが気に入ったわ。このスクーター、11台、送ってね!」と言われて台鈴の李さんは困ったような顔をする。「平等国民小学校」には校長先生のほかに10人の先生方がいる。何とも忘れられない環山の「平等国民小学校」になったが、先生方が手を振ってくれる中をTEKKENに乗って走り出すのだった。

 環山から国道7号を北へ。名無しの峠を越えて台中県から宜蘭県に入っていく。ここは山地民タイヤル族の住む大同郷。最初の村、南山村の入口にはタイヤル族の像が建っている。南山村はキャベツの産地。あたり一面に、収穫を間近にしたキャベツ畑が広がっている。山裾は茶畑。豊かさを感じさせる農村の風景だ。

 南山村からは四季村、茂安村、太平村、英土村とタイヤル族の村々がつづき、棲蘭に到着。ここで国道7号本線の北部横断公路とぶつかる。梨山から棲蘭までの国道7号は「甲」表示で、7号の支線ということなのだろう。

 棲蘭では蒋介石の別荘「蒋公行館」を見学する。目の前を山地から流れ出る蘭陽渓が流れ、周囲は森林公園になっている。自然度満点の「蒋公行館」だ。

 蒋介石 は1887年10月31日に清国(中国)浙江省寧波府奉化県で生まれ、1975年4月5日、台北で亡くなった。満87歳だった。

 第2次大戦後の国共内戦では毛沢東率いる中国共産党軍に敗れ、1949年、息子の蒋経国らとともに台湾に移った。そのときに大陸から移り住んだ中国人は「外省人」と呼ばれ、それ以前の「本省人」とは今でも区別されている。台湾にはそのほかアミ族やタイヤル族なのどの先住民がいる。

 台鈴の李さんの案内で「蒋公行館」を見学すると、そんな蒋介石の一生、それを次いだ蒋経国の一生がよくわかる。歩き疲れたところで、蒋介石が愛用したというソファーに李さんと一緒に座り、蒋介石の生涯を偲んでみるのだった。

 第2次大戦後、日本が分割されないですんだのは、蒋介石の力によるところがきわめて大きい。もし蒋介石の影響力がなかったら、北海道は間違いなくロシア領になり、本州は東日本と西日本の東西2国に二分割されていたであろう。

 蒋介石の別荘「蒋公行館」を出発し、北部横断公路の国道7号を行く。TEKKENを走らせ、峠を目指して登っていく。パワフルなエンジンのTEKKENなので難なく峠道を登りつめ、宜蘭県と桃園県の境の名無し峠に到達。標高1090メートルの峠だ。

 峠を下ったところで大渓に通じる国道7号と分かれ、右折して拉拉山に登っていく。拉拉山というのはひとつの山ではなく、この一帯を指す地域名。そこはまさに天上の世界だ。山上まで登ると拉拉山の町があり、展望台からは深く切れ込んだ谷を見下ろす。まわりには幾重にも重なりあって山々が連なっている。「拉拉山」というのは先住民、タイヤル族のタイヤル語で「きれいな所」を意味するという。

 そんな拉拉山にある「景仁山荘」に到着。ここが今晩の宿。「景仁山荘」は台湾民宿協会が発行している冊子、『台湾民宿』にも載っている。その『台湾民宿』の区分けがおもしろい。「異国風情風」(エキゾチック・スタイル)、「懐旧復古風」(ノスタルジア・スタイル)、「原住民采風」(アボリジナル・スタイル)、「家庭温医風」(ウォームファミリー・スタイル)、「田園郷村風」(パストラルカントリー・スタイル)に分けられ、「景仁山荘」は「田園郷村風」の中に入っている。台湾全土の選ばれた民宿73軒が1ページ大で紹介されているが、「景仁山荘」はその中に入る人気の宿なのだ。

「景仁山荘」での台鈴のみなさんと一緒の楽しい夕食が始まった。

  サラミの揚げ物
  野菜炒め
  シイタケ料理
  白身の魚(川魚)
  揚げたエビ
  焼き豚
  タケノコ料理
  鶏肉
  イカ料理
  野菜&野草料理
  豚肉、タケノコ、シイタケ入りのスープ

 テーブルには次々と料理が出てくる。「食大国・台湾」のいつものような豪華版の食事。台湾ビールを飲みながら、それら10皿の料理を食べる。まさに至福の時だ。デザートは桃。この桃がまたうまい!

 夕食を食べ終わると、外に出た。満天の星空。かすかな星明かりに照らされて、山々の稜線が見える。はるか下の谷間にはポツン、ポツンと家々の明かりが見えた。