2011年6月1日

復興から台北近郊の三峡へ

 2011年6月1日。拉拉山の夜明け。山々が幾重にも重なり合い、深い谷が刻まれた風景を眺める。谷間を走る幹線道路の北横公路(国道7号)が見下ろせる。その風景は九州山地の「三大秘境」、椎葉、米良、五家荘を思わせた。

 この一帯は山地民タイヤル族の世界だ。
「京仁山荘」の周辺を1時間ほどプラプラ歩く。緑濃い山々。竹林もある。亜熱帯の花々が咲いている。拉拉山歩きを終えて「京仁山荘」に戻ると朝食。朝粥と饅頭を食べた。

 拉拉山は桃の名産地。朝食を食べ終わると、「京仁山荘」のおかみさんは水蜜桃を出してくれた。6月から8月にかけてが最盛期とのことで、旬の水蜜桃はまだ固く、カリカリッと青リンゴをかじるようにして食べた。トロッと熟した桃とは違うその食感が舌に残り、忘れられない拉拉山の味覚になった。

 おかみさんの見送りを受け、「京仁山荘」を出発。拉拉山から谷間へと下り、北横公路(国道7号)に出た。

 TEKKENを走らせ、国道7号で大渓へ。大漢渓にかかる巴陵大橋を渡る。この橋の上流にはつり橋の旧橋が残っている。車は通らないので橋上にTEKKENと2台のNEXを並べて撮影。絵になるシーンだ。

 この大漢渓にかかる巴陵大橋の旧橋はちょっとした観光地になっている。拉拉山の観光ポスターにもその写真がのっている。ここではタイヤル族の若い女性が案内していた。TEKKEN、NEXの撮影のあとは、「タイヤル美人」との2ショット。これも忘れられない拉拉山の思い出になった。

 拉拉山から北横公路(国道7号)を走り、復興郷の中心、復興の町に到着。北横公路は大渓と宜蘭を結ぶ台湾横断のルートだが、復興が実質的な起点になるので、町には「北横」の碑が建っている。

 復興の「角板山公園」を歩いた。復興郷は「角板山」とも称されているが見所満載だ。

 まずは昭和天皇が皇太子時代に来たことがあるという「貴賓館」を見る。ここには第2次大戦後の一時期、蒋介石が住んでいたという。

 次に「角板山行館」を見学。ここには蒋介石の写真や資料が展示されている。角板山行館の脇にある「思親亭」は、蒋介石が故郷の中国・浙江省の渓口鎮に似たこの景色を夫人と一緒に眺めた場所。足下を大漢渓が大きく湾曲して流れ、周囲の山々が谷間に落ち込んでいる。そこには渓口吊橋がかかっている。台湾ではよく知られた橋だ。

 蒋介石は角板山に近い大渓の慈湖に葬られたが、蒋介石逝去後の喪中の間、息子の蒋経国は慈湖から角板山行館まで来て、「思親亭」で蒋介石を偲んだという。

 角板山公園には 「夫妻樹」がある。1950年に蒋介石夫妻が植えたガジュマルだ。2本のガジュマルは数年後には抱き合うような形になり、それ以来、「夫妻樹」と呼ばれるようになったという。ここにはクスノキの大木もある。復興はかつてはクスノキを原料とする樟脳の集散地として栄えた。

 最後に公園内で売られている復興郷特産の水蜜桃を食べ、復興の町を後にした。

 台北近郊の三峡へとTEKKENを走らせる。三峡の町に到着すると「清水祖師廟」を参拝。清代の1769年に創建された清水祖師廟は、台湾で最も美しい彫刻を誇る祖師廟として知られている。1833年の大地震で大きな被害を受けたが、すぐに再建された。1895年には進駐してきた日本軍に焼かれたが、4年後には再建された。まさに不死鳥のような清水祖師廟だが、信仰心の篤い台湾人を象徴しているかのような話だ。

 清水祖師廟は清水祖師をまつっているが、清水祖師の人となりについては諸説がある。

 三峡の祖師廟では、次のように紹介されている。

「本名は陳昭應。北宋の開封府の出身。福建省安渓県清水巌に祠が建てられた。公務を退いたあと清水巌に隠居したので、清水祖師と称せられ、安渓人はその祠を祖師廟と呼ぶようになった」

 時代が下って安渓の人たちが台湾に移住してきたとき、三峡を定住地に選び、ここに守護神として清水祖師をまつった。清水祖師の霊験はあらたかで、それ以来、三峡の人々の信仰と社会活動の中心的な役割を果たしているという。

 このように三峡の清水祖師廟は実在の人物を神として祀っているのだ。

 三峡ではスズキの販売店を訪問。店内には何と「歓迎 賀曽利隆先生」のポスターが額に入って掲げられていた。うれしいやら恥ずかしいやら…で、赤面するカソリ。

 販売店のご夫妻には大歓迎された。三峡名物のクロワッサン風「三角湧黄金牛角」をいただく。そこへ新竹から鄭宇倫さんが駆けつけてきてくれた。カソリが三峡にやってくるという情報キャッチしたという。鄭さんは2010年の「台湾一周」では2度、3度と出会った人だ。そんな鄭さんのヘルメットに「生涯旅人!」のサインをすると、すごく喜んでくれた。それがうれしかった。

 三峡で昼食。李さんら台鈴のみなさんと海鮮料理の「帝一嶺饗庁」に入った。たっぷりと時間をかけて食事を楽しむのが台湾流。会話を楽しみながら食べ、出てくる料理を次々にたいらげていく。昼食の円卓に出てきたのは次のようなものだ。

  1、刺身と小魚の甘露煮、鶏肉の3点セット
  2、活エビ(まだピクピク動いている)
  3、カニ飯
  4、鶏鍋
  5、炒めたエビ、ホタテ、チンゲン菜
  6、鶏肉の串揚げ
  7、煮魚
  8、魚介類とチンゲン菜のスープ

 大満足で三峡を出発し、ゴールの台北に向かうのだった。