能登半島を行く[64]

2024年6月10日 – 11日

奇跡のスーパー「もとや」

 飯田に戻ると、珠洲道路経由で県道6号に入り、町野町へ。壊滅した町の状況はまったく変わらないが、そんな町中に震災以降、ずっと営業をつづけているスーパーがある。奇跡のスーパー「もとや」だ。

 ここでパンとバナナ、チョコレート、フルーツゼリーを買って食べていると、何と「もとや」の若旦那がコーヒーを入れてくれた。熱いコーヒーを飲みながら若旦那の話を聞いた。その間、若旦那は店に出入りするすべての客に一言、二言、言葉をかける。みんなが顔見知りだという。そこへ完成したばかりの仮設住宅のキーをもらってきたという人がやってきた。仮設住宅の住み心地を話してくれたが、大きな家に住み慣れているみなさんにとっては仮設住宅の狭さは大分、こたえるようだ。

 スーパー「もとや」の若旦那に見送られて町野町を出発。日本海側の曽々木へ。曽々木の交差点の手前が岩倉山(357m)の登り口。山上には北陸観音霊場第16番札所の岩倉寺と式内社の石倉比古(いわくらひこの)神社がある。前回、岩倉山への道は落石や崩落がひどく、途中で引き返した。ところが今回は落石は取り除かれ、段差には古畳などが敷かれ、まったく問題なく山上まで登れた。

 ところが岩倉寺は見るも無残に崩壊している。岩倉寺の裏手に式内社の石倉比古神社があるが、岩倉寺以上の惨状で、大木が倒れ掛かり、社殿には近づけないような状態。そんな岩倉寺と石倉比古神社に手を合わせると、展望台から輪島方向へと延びる日本海の海岸線を一望した。

 岩倉山を下りると、曽々木の交差点で国道249号に出る。信号は消えたままだが、GSは営業している。この曽々木の交差点を右折し、まずは国道249号で大谷方向に行ってみる。曽々木の家並みを抜け、断崖を貫くトンネルを抜け、珠洲市に入ったところで通行止。崩れ落ちた山に国道は飲み込まれたままだ。まったく復旧工事はおこなわれていない。別な迂回ルートを造るのかもしれない。

 曽々木の交差点に戻ると、今度は輪島方向に行ってみる。ここも通行止のままだが、こちらは急ピッチで復旧工事が行われていた。1日も早く曽々木から輪島に行かれるようになることを願うばかりだった。