2024年3月11日 – 14日
多賀城跡から石巻へ
仙台から国道45号で多賀城へ。奥州国府の多賀城跡を見てまわる。復元された多賀城の外郭南門は完成間近だ。それに隣りあって「日本三大古碑」の「壺碑」(多賀城碑)がある。祠のような堂の中にあるが、高さ約2メートル、幅約1メートル、厚さ約70センチの砂岩の石碑で、碑面は西を向いて建てられている。案内板によると、それには次ぎのように書かれている。
多賀城 京去 一千五百里
蝦夷国界去 一百二十里
常陸国界去 四百十二里
下野国界去 二百七十四里
此城神亀元年歳次甲子按察使兼鎮守将軍従四位上動四等大野朝臣東人之所置也天平寶字六年歳次壬寅議東海東山節度使従四位上仁部省卿兼按察使鎮守将軍藤原恵美朝臣朝狩修造也
天平寶字六年十二月一日
天平寶字六年というのは西暦762年。京というのは奈良・平城京のことで、奈良時代の1里は約535メートルだった。この壷碑には多賀城は神亀元年に按察使(陸奥・出羽両国の監督官)兼鎮守将軍(各地の城柵と兵士を統括する役人)の大野東人によって築かれたこと、天平宝字6年には、参議(大臣、大中納言に次ぐ国政の要職)であり、按察使兼鎮守将軍の藤原朝狩によって改修されたことが記されている。つまり壷碑は多賀城の改修記念碑なのだ。多賀城の壷碑は群馬県吉井町(現高崎市)の多胡碑、栃木県湯津上村(現大田原市)の那須国造碑とともに日本三古碑に数えられている。
多賀城から国道45号で塩釜へ。1200年前に創建された奥州一宮の鹽竈神社を参拝する。表参道は202段の長い石段なので、SX250で駐車場まで登って石段をスルーした。ちょっと申し訳ない気分。豪壮な造りの楼門をくぐり、唐門をくぐって拝殿へ。向かって左側の右宮と右側の左宮で柏手を打つ。隣りあって別宮がある。さらに式内社の志波彦神社もある。
塩竃神社は多賀城の守護神であり、塩釜は塩竃神社の門前町として発展した。塩釜港は多賀城の外港だった。
塩釜から国道45号で松島へ。松島からは海沿いの県道27号を行く。東松島市に入ると、そこは大塚。JR仙石線の陸前大塚駅が海岸にある。駅も駅前の家並みも無傷で、大塚は大津波の被害を受けることはなかった。
大塚からゆるやかな峠を越えると東名(とうな)。そこにはJR仙石線の東名駅があったが、駅舎は大津波で流された。
大塚から東名まではわずか2キロほどでしかないが、この2キロの違いが天国と地獄に分けたのだ。大塚は無傷で、東名はすさまじい被害を受けた。
東名から野蒜へ。列車が大津波に流された野蒜駅は震災遺構として残されている。かつての駅舎は「震災復興伝承館」になっている。JR仙石線の東名〜野蒜間は今は高台に移設されている。
旧野蒜駅の「震災復興伝承館」を見学し、県道27号→県道60号→国道45号で石巻へ。石巻に到着すると、石巻駅前を出発点にしてSX250を走らせ、石巻の町をぐるりとまわった。
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