能登半島を行く[21]

2024年2月11日

狼煙の駐車場はガラ〜ンとしていた

 珠洲市の蛸島を出発。ここでは道の両側に倒壊した家を見る。珠洲市の市街地は見附島のある鵜飼から蛸島まで途切れることなくつづく。

 蛸島からは海沿いの道を行く。道路には亀裂が走っている。道路と堤防の間には亀裂が入り、海岸は隆起している。このあたりの海岸は内浦と外浦の境。富山湾の出口といったところだ。

 そんな海沿いの道に面して式内社の須須(すず)神社がある。須須神社は「珠洲」の郡名、市名の由来にもなっている。「三崎権現」とか「須須大明神」といわれ尊崇されている。

 この一帯は珠洲市の寺家(じげ)地区になるが、珠洲市は1954年に飯田、宝立、正院の3町と上戸、若山、直、蛸島、三崎、西海の6村が合併して誕生した。そのうち寺家地区は旧三崎村になる。それで三崎権現なのだろう。社伝によると今から2000年前、崇神天皇が狼煙の山伏山(鈴ヶ嶽)山頂に創建したのが始まりだという。今でも須須神社の奥宮は山伏山の山頂にある。

珠洲市の蛸島を出発。倒壊した家々を見る

珠洲市の蛸島を出発。倒壊した家々を見る

海沿いの道を行く。道路には亀裂が走っている

海沿いの道を行く。道路には亀裂が走っている

道路と堤防の境目には亀裂が入っている

道路と堤防の境目には亀裂が入っている

海岸は隆起している

海岸は隆起している

珠洲の地名の由来ともなった須須(すず)神社

珠洲の地名の由来ともなった須須(すず)神社

須須神社の参道

須須神社の参道

須須神社の拝殿は無事だ!

須須神社の拝殿は無事だ!

須須神社周辺の案内図。奥宮は狼煙の山伏山山頂に祀られている

須須神社周辺の案内図。奥宮は狼煙の山伏山山頂に祀られている

須須神社の「日本一の大キリコ」の入った倉。大キリコは無事なのか?

須須神社の「日本一の大キリコ」の入った倉。大キリコは無事なのか?

 須須神社の参拝を終えると狼煙(のろし)へ。道の駅「狼煙」は休業していたが、狼煙の家並みには大きな被害は見られなかった。道の駅「狼煙」の駐車場はガラ〜ンとして、車が3、4台停まっている程度。車を停めると、禄剛崎まで歩いた。

 能登半島は大きく3つに分けて口能登、中能登、奥能登と呼ばれているが、奥能登の東北端の岬が禄剛崎である。奥能登の日本海に面した外浦には見所が多いが、外浦はここから始まる。

 禄剛崎は高さ46メートルの海岸段丘。切り立った岬の突端に立つと、目の前には日本海の大海原が広がっている。断崖の下は千畳敷と呼ばれる岩礁地帯だ。古くから日本海航路の重要な地点で、地名が狼煙であることからもわかるように、海岸防備の拠点とされてきた。奈良時代にはすでに狼煙台が置かれたという。

 岬の先端には1883年(明治16年)に完成したフランス人の設計による禄剛埼灯台が優美な姿を見せている。禄剛崎からの距離を示す標柱は夢をそそられる。釜山までは783キロ、ウラジオストックまでは772キロ。日本海を越えて行ってみたくなる。「日本列島ここが中心」の碑もある。なるほど禄剛崎を中心にして円を描くと、日本本土最北端の宗谷岬と最南端の佐多岬が同心円上にくるのである

狼煙に到着。穴水から80キロ

狼煙に到着。穴水から80キロ

道の駅「狼煙」は休業中

道の駅「狼煙」は休業中

道の駅「狼煙」に立つ珠洲市の案内板

道の駅「狼煙」に立つ珠洲市の案内板

狼煙から椿展望台までの「岬自然歩道」の案内板

狼煙から椿展望台までの「岬自然歩道」の案内板

狼煙を見下ろす。倒壊した家は見当たらない

狼煙を見下ろす。倒壊した家は見当たらない

能登半島東北端の禄剛崎の園地

能登半島東北端の禄剛崎の園地

「能登半島最先端」の標柱が立つ禄剛崎

「能登半島最先端」の標柱が立つ禄剛崎

禄剛崎の「禄剛埼灯台」

禄剛崎の「禄剛埼灯台」

禄剛崎から釜山までは783キロ

禄剛崎から釜山までは783キロ

禄剛崎からウラジオストックまでは772キロ

禄剛崎からウラジオストックまでは772キロ

禄剛崎の「日本列島ここが中心」の碑

禄剛崎の「日本列島ここが中心」の碑

禄剛崎の岩礁

禄剛崎の岩礁

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