伊豆七島紀行[60]

2001年4月2日

温泉めぐりの峠越え

 2001年4月2日、「伊豆諸島編」の第2弾目に出発。八丈島まで行く東海汽船の「すとれちあ丸」(3708トン)は22時30分、定刻どおりに東京港の竹芝桟橋を出港した。

 船上から眺める東京の夜景がまばゆいばかり。

 夜が明けると、船は三宅島のすぐわきを通過。島の主峰、雄山には厚い雲がかかっている。噴火の影響で全島避難した三宅島なので寄港しないが、

「いつの日かまた、来よう!」という気持ちで遠ざかっていく島影を見送った。

「一日も早く、三宅島の噴火が終息し、島民のみなさんが島に戻れますように!」

 三宅島を過ぎる次の島、御蔵島が近づいてくる。切り立った断崖がストンと海に落ち、何本もの滝が見える。6時に御蔵島に到着。何人かの乗客が降りると、すぐさま出港だ。

 残念ながら御蔵島はパスした。というのは「東京→八丈島」は毎日、就航しているが、御蔵島に寄港するのは週に1便。一週間後の船を待つことはできない。

 八丈島の八重根港に着いたのは9時20分。「すとれちあ丸」に積み込まれたスズキSMX50の入ったコンテナが降ろされ、岸壁でバイクを引き取った。

 八丈島からさらに青ヶ島に渡るつもりでいたが、青ヶ島に渡るのはきわめて難しいといわれていた。船がしばしば欠航するからだ。そこでまずは青ヶ島に行こうと、青ヶ島村の村営「還往丸」の乗り場に行った。ところが海が荒れているとのことで欠航。ということで、先に八丈島を一周することにした。

 御蔵島では青空が広がっていたが、南下するにつれて天気が悪くなり、八丈島では雨が降っていた。雨具を着ての出発。八丈島は北に八丈富士、南に三原山がそびえ立ち、その間が平坦地になっている。おおざっぱに分けると、島は3つのパートから成っている。

 八重根港を拠点に、まずは島の北部を反時計回りで一周。島の西海岸にある八重根港から島を横断して東海岸にある底土港に行き、海沿いに走り、八重根港に戻った。島の北半分、北部の一周は33キロだった。

 昼食のあと、今度は島の南部を一周する。八丈島には島一周の都道が走っていて、キロ表示の地点標が1キロごとに立っている。地図つきなのですごくわかりやすい。「北部一周」のときと同じようにまずは島を横断して底土港に行き、時計回りでの「南部一周」を開始する。

 SMX50のアクセルを開き、登龍峠を登っていく。50ccバイクにとってはかなりきつい登り。峠には展望台。絶景峠で眼下に底土港を見下ろし、その向こうにそびえる八丈富士を一望する。標高858メートルの八丈富士は伊豆諸島の最高峰になっている。

 末吉地区に入ったところで、八丈島の温泉めぐりを開始する。

 第1湯目は末吉温泉「みはらし湯」(入浴料500円)。大浴場に隣りあった露天風呂からの眺めは最高。正面には太平洋の大海原が広がっている。右手には八丈島南端の小岩戸ヶ鼻。すきっと晴れた日には水平線上に浮かぶ青ヶ島が見られるという。

 第2湯目は洞輪沢漁港にある洞輪沢温泉。ここはなんともうれしい無料湯だ。男女別の脱衣所と浴室がある。太いパイプから大量の湯が木の湯船に流れ込み、おしげもなくあふれ出ている。

 第3湯目は裏見ヶ滝。水着着用の混浴露天風呂で、ここも無料湯。さらに第4湯目の中ノ郷温泉「やすらぎの湯」、第5湯目の樫立温泉「ふれあいの湯」に入ったが、入浴料はともに300円。嵐のような猛烈な風雨の中を走ったが、温泉に入っている間は天気もまったく気にならない。

 こうして夕方、八重根港に戻ったが、「南部一周」は58キロ。夜は底土港に近い民宿「そこど荘」に泊まった。夕食にはトビウオの唐揚げとたたきが出た。トビウオといえばかつては八丈島では一番とれた魚だが、今では激減しているという。

 翌日も天気は悪く、青ヶ島への船は欠航した。そこで午前中は島南部の最高峰、三原山に登った。標高700メートルの山頂に到達したときは雨と汗でビショビショグチョグチョ状態。三原山から下ると、樫立温泉「ふれあいの湯」に直行。温泉で生き返った。

 午後は島北部の最高峰、八丈富士に登った。一周5キロほどの八丈富士周遊道路からわずかに入ったところが登山口。火山岩を使った石段を登っていく。全部で1280段の石段はかなりきつい勾配。山頂にやっとの思いでたどり着き、浅間神社に参拝した。

 第2夜目も底土港近くの民宿「そこど荘」に泊まった。夕食は第1夜目とはまったく違うもので、それをはるかに上回る豪華版。旬のカツオの刺し身と味噌漬けにしたトビウオの焼き魚、カツ、茶碗蒸し、それに「島ずし」がついた。「島ずし」はづけ(醤油漬け)にしたマグロがネタだったが、そのほかトビウオやメダイ、アオセダイといった白身の魚を使うこともあるという。伊豆諸島から小笠原諸島にかけての名物料理で、ワサビの代わりに洋辛子を使うのが特徴だ。

 翌朝は天気はかなり回復したが、それでも青ヶ島への船は欠航。残念ながら青ヶ島を諦め、底土港から東海汽船の「すとれちあ丸」で東京に戻った。