伊豆七島紀行[59]

2001年3月27日

7人の神々が集う島

 式根島からは8時40分発の東海汽船「さるびあ丸」で神津島に渡った。9時20分、神津島の三浦港に到着。目の前には神津島最高峰の天上山がそびえている。神津島に上陸すると、幹線道路の「神津本道」で島で町に向かってSMX50を走らせる。

 町には神津村役場があり、商店があり、島民の大半が住んでいる。人口2400人の神津島なので、かなり大きな町なのだが、とくに名前はついていない。島のパンフレットを見ると「村落」とある。

 村落の前浜海岸には「水配神話」のモニュメント像が建っている。遙か遠い昔、7人の神々が伊豆七島を創るためにこの島に集まった。そのモニュメント像なのである。

 村落内には「流人墓地」がある。そこにはオタア・ジュリアの墓。朝鮮貴族の娘だったジュリアはキリシタン大名の小西行長の養女になり、後に徳川家康に仕えた。

 ところが慶長12年(1612年)に発令された「キリシタン禁止令」に触れ、神津島に流された。そのジュリアを偲んで毎年、「ジュリア祭」がおこなわれている。

 村落のガソリンスタンドで給油する。伊豆大島では1リッターが131円、新島では165円、それが神津島だと172円になった。東京港から遠くなればなるほどモノの値段が上がっていく。

 村落から島の最高峰、天上山へ。登山口にバイクを停め、そこから頂上を目指した。標高574メートルの山だが、海からの574メートルなので、かなりきつい登り。あっといまに大汗をかく。樹林帯を抜け出ると、岩肌が剥き出しになった荒涼とした風景が広がっている。猛烈な風が吹きまくり、体ごと飛ばされそうになる。

 山頂に立った。

 真下に「村落」を見下ろす。反対側に目を移すと、三宅島と御蔵島が見える。三宅島からは白色の噴煙が上がっている。天上山は火山。火口内には「表砂漠」、「裏砂漠」と呼ばれる砂漠がある。

 天上山を下ると、山麓の黒曜石の工房を見学した。神津島は昔からの黒曜石の産地だ。

 黒曜石というのはガラス質の火山岩で、先史時代には切れ味の鋭い石器として使われた。九州の阿蘇山や信州の和田峠、北海道の十勝岳などが黒曜石の産地として知られているが、これら九州産や信州産、北海道産の黒曜石は広範囲に交易されていた。それと同じように神津島産の黒曜石も海を渡り、伊豆諸島のみならず、関東を中心とした本土にも出回っていたという。縄文の時代にも、船を自由自在に操り、黒曜石を売りさばく商人がいたのだろうか。なんという歴史のロマン。工房では黒曜石の原石を見せてもらったが、表面は薄茶色で、中は光り輝くきれいな黒色だ。

 最後は神津島温泉。村営の「神津島温泉保養センター」は休業中だったので、そのかわりに神津島漁港を目の前にする温泉旅館「山下旅館」の湯に入った。塩分の強い湯。窓を開けると、ちょうど夕日が港の向こうに落ちていくところだった。

 温泉でさっぱりしたところで今晩の宿の民宿「あさえ」へ。夕食のサザエの壺焼きを肴に冷えたビールをキューッと飲み干した。

 こうして伊豆諸島の「伊豆大島→神津島」をめぐり、2001年3月28日、東海汽船の「さるびあ丸」で東京港の竹芝桟橋に戻ってきた。

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