伊豆七島紀行[57]

2001年3月25日

震度6強の大地震の爪痕

 新島到着は8時30分(2001年3月25日)。驚いたことに「伊豆大島→利島」間で一緒だった竹澤裕介さんと北村滋さんがぼくを出迎えてくれた。2人は昨日、式根島から新島に渡り、今日の船で東京に戻るという。

 コンテナに入れた相棒のSMX50を引き取ると、カンコーヒーを飲みながら2人の話を聞いた。式根島はおもしろかったとのこと。釣りもしたという。昨夜は新島港の近くで野宿し、さんざん蚊にやられたそうだ。まだ3月下旬だというのに…。竹澤さんの顔はボコボコに腫れ上がっている。そんな2人に見送られて新島港を出発した。

 新島は南北に細長い島。島一周の道はない。そこで新島の中心、本村からまずは北へ。全長739メートルという長い新島トンネルを抜け、北端の若郷まで行った。本村からは10キロほどだ。

 2000年の震度6強の大地震のすさまじさを見せつけるかのように、まわりの山々はいたるところで崩れ、山肌が剥き出しになっている。幸い死傷者は出なかったとのことで、これは奇跡だと若郷の人たちは言っていた。

 道路もズタズタに寸断され、本村まではしばらくの間、船を使ったという。

 本村に戻ると、新島港近くの混浴の無料湯「湯の浜露天風呂」に入った。全部で6つの湯船。てっぺんの湯船からは式根島と神津島が見える。

 湯から上がると、今度は南へ。やはり10キロほど走ると、自衛隊のミサイル試射場で行き止まりになる。高台に立つと、新島最南端の神渡鼻と岬の突端に建つ白い灯台が見えた。対岸の島は早島だ。

 新島では本村の民宿「角七」に泊まった。宿での夕食後、おかみさんに無理をいって、土産物屋で買った新島名産のくさやを焼いてもらった。青むろ(ムロアジ)のくさやだ。それを部屋でビールを飲みながら食べた。部屋中にくさやの強烈な匂いが充満する。匂いと味は反比例するとのことで、くさければくさいほど味がいいという。

 くさやは先祖伝来の液(魚のはらわたなどが入った塩分の強い液)に、開いたムロアジなどの魚を浸し、それを天日で干したもの。伊豆諸島のほかの島々や伊豆半島にもあるが、くさやといえば新島。新島が発祥の地なのだ。

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