賀曽利隆の観文研時代[122]

賀曽利隆食文化研究所(11)長浜編

『ツーリングGO!GO!』(三栄発行)2003年6月号 所収

 

序論

 琵琶湖の「ふなずし」(なれずし)を食べようと、近江(滋賀県)の長浜に向かった。

 ところで、「すし」といえば誰でもが知っている食品。今の時代だと、すぐに握りずしを思い浮かべるが、その語源は「酸し(すし)」で、すっぱさを意味する「酸し」からきている。

「なれずし」は日本のすしの原型で、麹や酢を用いずに、自然発酵によって酸味を出している。そのなれずしを代表するのが琵琶湖のふなずしなのである。

「ふなずし」はすしとはいっても、新鮮なネタをすし飯の上にのせる握りずしとはまったく違う。

 長い日数をかけて自然発酵させたもので、ひと言でいえば魚肉の漬物。そんな日本最古のすしが未だに消えることなく、琵琶湖の沿岸に残っている。

調査

 ジェベル250GPSで東京から東名→名神→北陸道と一気に走り、長浜ICで高速を下りた。

 長浜は琵琶湖畔の城下町。まずは湖畔の道を走る。湖岸には小波が寄せ、まるでシーサイドラインを走っているかのような気分。

 そして長浜城の天守閣に登った。

 目の前に広がる面積671平方キロ、周囲188キロの日本一の大湖、琵琶湖を眺めていると、よくいわれる「湖国(ここく)」が実感できる。琵琶湖あっての近江なのである。

 琵琶湖には、「ふなずし」の食材となるフナをはじめとして、ウナギ、コイ、アユ、マス、ハス、エビなど多種の魚介類が生息している。

 滋賀県の内水面漁業での漁獲量は他県を圧倒して桁外れに大きい。そのため近江では昔から琵琶湖の魚介類を食材にした料理が発達している。

 豊臣秀吉と石田三成の出会いの像が立つ長浜駅前を出発点にし、古い家並みが残る北国街道をプラプラ歩いた。

 そこで「ふなずし」の看板をみつけ、郷土料理店の「翼果楼」に入った。

 北国街道の歴史が伝わってくるかのような店構え。

 さっそく目当てのふなずしを注文した。

 ほどなく数切れのふなずしが、皿に盛られて出てきた。

 においがきつい。

 店の主人は「このにおいがいやだといって、食べられない人もけっこういますよ」
 といった。

 だが、きついにおいとはうらはらに、味の方は絶品。年数のたった高級チ−ズを思わせる。

 ひと切れ、口に入れた瞬間、ぼくは「熱燗の酒を飲みたい!」と思った。
「ふなずし」は酒の肴には最適だ。

 熱燗の日本酒のかわりに、熱いお茶を飲みながらふなずしを食べた。

 さらに椀にふなずしを入れ、熱い湯をそそいで吸い物にしてみた。

 ご飯の上にのせて茶漬けにもした。

 ふなずしは、なんともいえない深みのある味わいだ。

 ぼくはふなずしの味に心底、感動した。

 魚肉を発酵させることによって、「味がこうまで変わるものなのか…」といった魔術を見るような驚きをも感じ、食文化の神髄に触れたような思いがした。

 ふなずしの材料となるのはゲンゴローブナ(源五郎鮒)とニゴロブナ(煮頃鮒)だが、偏平な形をしたゲンゴロウブナよりも、丸みを帯びてふっくらとしたニゴロブナの方がはるかに味がよくなるという。

 ふなずしに使うニゴロブナは2月から3月に獲る寒ブナで、琵琶湖に浮かぶ竹富島の北側、奥琵琶湖で獲れるものが最上だという。このように季節と場所を選んで獲ったニゴロブナのうち、生後3、4年の卵を持ったメスをふなずしにする。

「すし」を漢字で書くと「鮓」と「鮨」だが、「鮓」はなれずしの系統で、「鮨」は握りずしの系統といえる。寿司はめでたさを表す当て字だ。

 東京のすし屋の看板は「鮨」だが、大阪のすし屋の看板では「鮓」をよく見る。東日本は圧倒的に握りずしだが、西日本では多くのなれずしの系統のすしがある。

 ふなずしのつくり方は次のようなものである。

 獲りたてのフナのうろこを包丁でこそぎ、針金状の細長い棒を口から入れ、卵を傷つけないようにして内蔵を引っかけて取り出す。熟練を要する作業だ。そのあとフナの口から腹がふくれるまで塩を詰める。そのフナを底に塩を敷いた桶に並べ、その上に塩をかぶせまたフナを並べ…と交互に繰り返し、一番上に落としぶたをして重しをかける。

 まさにフナの塩漬けだ。

 3ヵ月以上たったところで、フナをよく水洗いし、水を張った桶にひと晩つけて塩抜きをする。

 塩漬けの次は飯漬けだ。

 やや硬めに炊いた飯に塩を混ぜ、それを桶に敷きつめ、その上にエラをとったところから飯を詰め込んだフナを並べる。その上に飯をかぶせ、塩漬けのときと同じように、フナ、飯、フナ…と交互に重ね、落としぶたをして重しをかける。3ヵ月以上おいておくと、食べられるようになる。このようにふなずしというのは、半年とか1年という長い時間をかけてやっと食べられるようになる。

結論

 古代からあった「なれずし」を出発点にして、日本の「すし文化」は時代とともに大発展をとげてきた。江戸時代の中期には、酢飯に江戸前の新鮮なネタをのせる「握りずし」が誕生した。江戸の屋台料理だ。

 我々が今、ふつうにすしといってる「握りずし」は、その長い歴史から見れば新参者でしかない。「なれずし」系統のすしの方がはるかに長い歴史を持っている。半年とか1年をかけて熟成させるスローフードの「なれずし」とはまさに対極のファーストフードが「握りずし」なのである。

 すしはインドシナが発祥の地。稲の伝播とともに日本に伝わったと考えられている。その本家本元のインドシナでは今でも「なれずし」である。それにひきかえ日本は「なれずし」を元にして次々と日本風のすしを生み出してきた。

 そこに日本人の食へのこだわり、好奇心、探究心の旺盛さを見る。

 海を越えて日本に伝わってきたものを日本風なものつくり替えてしまう、日本人特有の能力の高さを「すし」にも見てとることができる。

 これが琵琶湖の「ふなずし」を食べて感じた一番のおもしろさだった。