賀曽利隆の観文研時代[123]

賀曽利隆食文化研究所(12)富山編

『ツーリングGO!GO!』(三栄発行)2003年7月号 所収

序論

 ぼくは富山のますずしが大好きだ。

 国道8号で日本海沿いに走ると、条件反射的に富山駅まで行って「ますずし」の駅弁を買ってしまう。これぞ、まさにパブロフの法則。

 富山駅の「ますずし」は日本一の駅弁だと思っている。

「ますずしを食べたい!」

 ということでジェベル250GPSを走らせ、富山に向かった。

調査

 富山に到着すると富山駅に直行し、「ますずし」を買った。それを持って市内を流れる神通川の堤防上まで行く。富山平野の向こうには立山連峰の山々が連なっている。衝立のように立ちふさがる残雪の山々は、「これが富山だ」といわんばかりの風景を見せている。

 そんな風景を眺めながらますずしを食べた。

 円形の容器の上下に竹を2本ずつ渡し、それを太めの輪ゴムで留めている。昔は山藤のツルを使ってしばったという。

 ますずしは味はもとより、見た目にも美しい。

 輪ゴムを外し、押さえつけている竹をとり、蓋を開けたときの見映えのよさは感動ものだ。

 ますずしを包み込む笹の緑、マスの切り身の薄紅色、日本の米どころ富山平野でつくられた越中米の白さ。その配色が絶妙だ。

「日本人は目で食べる」
 といわれるが、それが実感できる。

 さっそく、ひと切れ、口に入れる。

「これだよ、これ!」

 ちょうどいい具合になれたマスとすし飯の取り合わせは、ドンピシャのタイミングで食べごろなのである。

 ますずし用のマスは、もともとは富山平野を流れる神通川産が使われていた。

 神通川のマスは秋に産卵し、ふ化してから1年半は神通川で生育する。その後、日本海に下り、1年間は海で生息し、初夏になると再び神通川に戻ってくる。

 この時期のマスが旬で脂が乗っていて一番美味だという。したがって、ますずしも本来は5月から7月にかけて食べるものとされていた。

 それが近年はますずし人気もあって、各地で捕れたマスを冷凍保存して使っているので、1年中、食べられるようになっている。

 ますずしを食べ終わったところで、富山駅前の「青山ますずし店」でそのつくり方を見せてもらった。

 まずはマスを3枚におろし、皮をはぎ、骨をとり除き、それを幅6センチぐらいの横切りにして酢に漬ける。

 その一方で、炊きあげたご飯に酢、塩、砂糖などで味つけしてすし飯をつくっておく。+

 次に木製の直径20センチほどの円形の容器に笹の葉を敷き、すし飯を盛り、その上にマスの切り身を扇をくるりと回したような円形に並べる。

 それを笹の葉でくるみ、蓋をし、重しをかける。

 こうして2、3日もすると食べごろになる。

 ますずしにほのかな香りをつけ、防腐の役目も果している笹は、立山連峰の山笹だ。

 夏の土用のころにとり、それを天日で干して保存しておく。使うときに熱湯に通すと、青々とした鮮やかな色彩が戻ってくる。

結論

 富山のますずしは、言い伝えによると、江戸時代の中期に吉村新八という富山藩士が考案したものだという。

 富山藩主はその味がすっかり気に入り、幕府への献上品にした。

 すると時の8代将軍、徳川吉宗もたいそうその味を好み、それ以来、富山の名産品になったという。

 とはいっても、ますずしは、それよりもはるかに古い時代からつくられていた。

 神通川にはマスだけでなく、アユやコイ、フナ、ウグイなどの川魚が豊富に生息している。この地方では、古くからそれらの川魚を利用して、なれずしをつくっていた。

 そのなれずしのますずしが、酢を使うことによって、早ずしのますずしに変わっていった。ますずしはうまいだけでなく、それを食べていると、日本の食文化の歴史が見えてくる。