賀曽利隆の観文研時代[106]

甲州の小正月(2)

1986年

 小正月の1月14日に山梨県内の甲州街道(国道20号)を行くと、夕刻から夜にかけて、あちこちで正月の御飾りを焼くどんど焼きを見る。

 大月市の初狩では笹子川の河原でどんど焼きをしていたが、繭玉飾りの「マユダンゴ」と呼んでいる団子をどんど焼きの火でやいていた。それを食べると虫歯にならないという。

 信州との国境に近い白州町(現北杜市)大武川のどんど焼きは、釜無川の河原でおこなわれていた。「オマルメ」と呼ぶ繭玉飾りの団子を柳の枝に刺してどんど焼きの火で焼いていた。ここでもそれを食べると、虫歯にならないという話を聞いた。

 多摩川上流の丹波山村の丹波では、西原のカドドウシンと同じようなドウシン(道神)を見る。ドウシンの頭にはそばをのせたりご飯をのせている。粟穂や稗穂を結わいつけているドウシンもあった。

 塩山市(現甲州市)の藤木では、14日の夜、道祖神祭りがおこなわれる。

 藤木には上藤木、下藤木、西藤木の3つの集落があるが、それぞれの集落に道祖神がまつられている。

 藤木の3集落はそれぞれに大太鼓を持っていて、14日の夜、太鼓乗りがおこなわれる。太鼓橋の形をした梯子に太鼓をくくりつけ、その上で出しものに合った衣裳を身につけた人が歌舞伎を演じる。その梯子を前で3人ずつ、後で4人ずつ、全部で14人の人たちでかつぐのだ。

 祭りの広場の中央ではどんど焼き。火のまわりをグルグルまわるようにして歌舞伎が演じられる。出しものは弁天小僧、安達ヶ原、勧進帳など。太鼓と鐘の音が炎の舞い上がる冬の夜空に響き渡る。

一之瀬の春駒祭り
一之瀬の春駒祭り

 塩山市(現甲州市)の一之瀬では、「オジュウヨッカ祭」と呼ばれる春駒祭りがおこなわれる。

 道祖神の脇でどんど焼きをおこない、その火を照明にして、籠でつくった馬にまたがる格好をして踊る。馬の頭の部分はといえば、籠に和紙を貼って目、鼻をつけ、和紙を切ったたてがみをつけ、手綱と金輪(口輪)をとりつけている。

 胴の部分に踊り手が入り、牡丹をあしらった派手な布を胴のまわりにたらす。尾の部分は麻で形づくり、尻のところに注連をたらす。馬の上半身と下半身は、踊り手の腹と腰に結びつけてある。踊り手ははっぴ姿に花笠をかぶり、金輪の音をシャンシャン鳴らしながら踊る。

 一ノ瀬でも小正月には繭玉を飾る。

 繭玉の飾られた神棚を見ると、ヤマドリが供えられている。

 柳沢峠に近い一之瀬では狩猟が盛んで、猪、鹿、熊、兎、狐、狸、キジ、ヤマドリと、多彩な鳥獣を獲っている。

 小正月にはヤマドリを供えると縁起がいいというので、猟師たちはそれまでにヤマドリを獲ろうと躍起になる。

 ブドウの大産地の勝沼町(現甲州市)では丸石を置いただけの道祖神が多いが、小正月には重餅と団子、煮干を供える。

 韮崎市になると、石に彫られた双体の道祖神が多くなるが、繭玉飾りの団子が供えられる。

 こうして甲州の小正月行事を見てまわったが、広い地域でどんど焼きがおこなわれているのがわかる。

 つまり、火祭りだ。

 上野原町(現上野原市)の西原では、先にもふれた小正月の「オマツヤキ」だけでなく、かつては盆にも火祭りがおこなわれていたという。「ヤキバッテー」と呼ばれる火祭りだ。

 盆の14日の夜、竹で櫓を組み、そのまわりに麦藁をしばりつけ、火をつける。炎は空高く舞い、竹のパーン、パーンとはじける音が、まるで花火のように聞こえたという。

 その炎の中に害虫がどんどん飛び込んでいったので、ヤキバッテーをやっていた頃は、家の中にあまり虫は入ってこなかったという。ところが麦をつくらなくなり、ヤキバッテーをやらなくなってからというもの、夏に家の窓を開けておくと、やたらと虫が入ってくるようになったという。

 このような西原に見る小正月の「オマツヤキ」と盆の「ヤキバッテー」という火祭りの相似性は興味深い。小正月と盆という年2回のサイクル、年2回の正月をうかがわせる。