賀曽利隆の観文研時代[87]

金沢の近江町市場を歩く

1986年

  北国の
  時雨日和や
  それが好き

 金沢の町をはぐくんできた犀川のほとりに、この町をこよなく愛した室生犀星の文学碑がたっている。それに隣りあって、冒頭の高浜虚子の句碑がたっている。

 10月上旬(1986年)の金沢にやってきた。金沢滞在中は虚子の句碑のとおり、北国特有の時雨日和が多かった。

 つい、いましがたまで青空が顔をのぞかせていたのに、突如、鉛色の雲が低く垂れこめ、ザーッと降ってくる。それがものの2、30分もしないうちに、日が差しはじめる。その繰り返しなのだ。

「弁当忘れても、傘忘れるな」
 といった話も聞いた。

 しかし、雨の金沢は悪くない。雨が似合う町といってもいい。天下の名園の兼六園にしても、武家屋敷にしても、にび色の屋根瓦が重なり合った古い家並みにしても、雨に濡れると一段とひきたって見える。加賀百万石の城下町は、雨に濡れてしっとりと落ち着く。

 傘をさしながら路地を歩くと、どこからともなく琴や笛、三味線の音(ね)が聞こえてくる。宝生流の謡(うたい)なども聞こえてくる。金沢はそんな町だ。

金沢の近江町市場を歩く
金沢の近江町市場を歩く

 静かな金沢と対照的なのが、古くからの商人町の近江町。そこには金沢の台所の近江町市場がある。

「ハーイ、ラッシャイ、ラッシャイ!」

「シャケだよ。さー、いらんか、いらんか!」

 近江町市場に一歩、足を踏み込むと、熱気が押し寄せ、商人たちの威勢のいい掛け声に圧倒される。買い物客もしとやかな金沢人とはまったく別人のような生き生きとした顔を見せる。

 近江町市場には八百屋や魚屋、肉屋、乾物屋など200軒以上もの店々が軒を並べている。市場全体が発する熱気は、金沢という町が生きているのを証明しているようなものだ。

 近江町市場は午前中からにぎわっている。

 金沢の主婦たちは、というよりもこれは西日本に共通することだが、買い物を早い時間にすませる傾向にある。より新鮮な野菜や魚を買おうという意識の表れだと思う。

 金沢は前田家百万石の城下町。百万石は藩政時代の日本一の石高だ。

 藩祖の前田利家は、城造りの名人といわれた高山右近に命じ、犀川と浅野川にはさまれた小立野台に城を造った。2つの川は天然の堀の役目をはたしている。

 金沢の町にはT字路や鉤型路、袋小路が多くある。道幅は狭く、おまけにすこしずつ曲がっている。まるで迷路を歩くようで、よそ者はしばしば道を間違える。

 犀川と浅野川の外郭部に寺院を集め、寺町をつくった。寺町に城下町防衛の前線基地的な機能を持たせた。このように金沢は敵の進入を想定してつくられた戦略本位の町なのである。

 北陸を貫く北国街道は、西の方から来ると、犀川を渡って城下に入る。いまでも金沢の繁華街になっている片町、香林坊、武蔵辻を通り、番場町から浅野川を渡って場外に出る。この北国街道に沿って商人町を置き、武蔵辻の一角には、近江から呼び寄せた近江商人たちを住まわせた。それで近江町という町名になっているが、ここには日本一の商人集団、近江商人の血が途切れることなく受け継がれている。

 近江町市場の八百屋の店先には、季節ものの商品が並んでいる。

 山積みにされた能登の柿や栗が市場に色鮮やかな秋色を放っている。能登のマツタケはあたりにほのかな香りを漂わせている。加賀の蓮根、白山のナメコやシメジが近江町市場に秋を告げている。

 八百屋の一角では、アケビが売られていた。これは金沢市内でとれた金沢産のアケビだという。

 前田家代々の墓がある金沢郊外の野田山に行った時のことだ。

 前田家の墓地は、観光地金沢からとり残されたようなところで、訪れる人もいなかった。墓地の静けさを破るように、子供たちの声がした。子供たちはアケビをとりに来たのだ。木にからみついたツタには、こぶし大のアケビの実がたくさん成っていた。子供たちは実をとると、パカッと2つに割り、黒い種をつつみ込んだゼリー状の部分を食べている。近江町市場でアケビを見ると、そんなシーンが目に浮かぶ。

 日本海が近いだけあって、近江町市場の魚介類は新鮮だ。種類も多い。遠方からやってきた客も多い。鮮魚だけでなく、焼魚も売っている。

 金沢に来たら、誰もが一度は口にする甘エビが、ここでは無造作に積み上げて売られている。とれたばかりの甘エビは濃い桜色をしている。

 近江町市場内にすし屋があるが、そこで甘エビの刺身と甘エビの握りずしを食べた。ともに口のなかでとろけそう。甘エビは口当たりがよく、ほんのりとした甘みが何ともいえない。これには能登産マツタケの吸いものがつき、得したような気分になった。

 カニ売場では北海道産の毛ガニが多かった。毛ガニはまだ生きていて、足をモゾモゾ動かしている。

 金沢名産のズワイガニが近江町市場に並ぶ日も間近だ。ズワイガニは隣の福井県になると越前ガニ、山陰になると松葉ガニと呼ばれる。

 金沢が北国の町だと強く感じさせるのは、漬物売場が目立って多いことだ。北陸の冬は厳しい。長い間、雪に閉ざされる。そんな冬を間近にひかえ、ハクサイやキューリ、ナスの漬物が飛ぶように売れていた。

 漬物は野菜だけではない。イワシやニシン、フグなどの糠漬け、粕漬けと、魚の漬物が多いのも、近江町市場の大きな特徴だ。

 日が暮れると、近江町市場に隣り合った居酒屋で加賀の地酒を飲んだ。つきだしにはフグの粕漬けが出た。

 まわりの客たちをさりげなく見てみると、コンカイワシ(イワシの糠漬け)を肴にしている人が2人も、3人もいた。金沢人は、というよりも北陸人は、魚の漬物が好きなようだ。

 ぼくもコンカイワシを食べた。しかし、それは我慢できないほど塩辛いものだった。

 そのかわり、もうひと品頼んだ金沢名物のカブラずしは、文句なしのうまさ。これも魚の漬物だ。

 カブラずしはブリの切り身を重ね、こうじに漬け込んだもの。こうじに漬けるのは、たんに保存するためだけではない。発酵させることによって、ブリ本来の味とはまた別の味を引き出すことができるからだ。

 近江町市場では身欠きニシンも多く見た。その身欠きニシンを食べようと、近江町市場に近い有名なそば店の「加登長」に入った。

 にしんそばを食べたが、長時間かけて甘辛く煮た身欠きニシンがそばの上にのっている。そばとニシンのとり合わせは絶妙だ。

 近江町市場のプラプラ歩きは楽しかった。

 ふだん着の金沢を見ることができたし、金沢をとりまく北陸の風土がよく理解できた。さらには季節まで感じることができた。

 金沢は北国である。

 足早に流れる雨雲は、時雨の秋を過ぎれば雪雲に変わる。金沢滞在の最後の日、北国新聞の朝刊には、白山に初雪が降ったと出ていた。雪が山から里に降りてくるのはもうすぐだ。