第4弾 小名木川
「日本のパナマ運河」を見る
小名木川と大横川の交差点の北側、猿江側には元禄から享保年間(1688年〜1736年)の頃まで「猿江船改番所」が置かれたが、その跡に立つ案内板には次のように書かれている。
小名木川は江戸への物資輸送の重要な交通路であったため、とくに江戸の町を守る必要上、江戸時代の初めには万年橋北岸に通船改めの番所が置かれました。その後、中川口へ移転し、中川船番所として利根川水系や房総方面と江戸の間を航行する川船を取り締まっていました。猿江船改番所は中川番所とは別に、川船行政を担当する川船改役の出先機関として設置されたものです。
幕府や諸藩の荷物を運搬し、江戸へ出入りする船には川船改役によって極印が打たれ、年貢・役銀が課せられていました。そのため新たに船を造ったり、売買によって持ち主が替わった場合などは届け出が義務づけられていました。猿江船改番所の仕事は船稼ぎを統制することにあり、こうした年貢・役銀を徴収したり、川船年貢手形や極印の検査を行っていました。
小名木川と大横川の交差点から、さらに小名木川に沿って歩く。
小名木川にかかる新扇橋を過ぎると、「日本のパナマ運河」といわれる「扇橋閘門」がある。「扇橋閘門」は船舶が航行できるように設けられた施設で、前後2つの水門を用いて水位を調節して船を通過させる。大型船が航行するパナマ運河も同じようなシステムで、「扇橋閘門」を大規模にしたようなものだ。
小名木川にかかる小松橋を過ぎると、四ツ目通りの通る小名木川橋だ。この橋のたもとには「五本松跡碑」と「五百羅漢道標」がある。
その先の小名木川と横十間川の交差点には、2つの川にクロスして人道橋のクローバー橋がかかっている。(つづく)