道路地図が本屋にない
夕暮れの浜名湖畔を出発。ハスラー50を走らせて国道1号を行く。浮谷東次郎の足跡を追っての旅はつづく。
ゆるやかな峠の潮見坂を越え、静岡県から愛知県に入った。
日が暮れたところで、国道1号沿いの食堂に入る。そこはトラック運転手たちの溜まり場。このような店は安くてうまいのだ。トラック運転手たちの会話をさりげなく聞きながら、650円の焼き魚定食を食べた。
大渋滞のつづく豊橋、岡崎を走り過ぎ、名古屋へ。
21時30分、東京から370キロ、17時間かけて名古屋市に入った。
桶狭間の古戦場の近くにある名鉄の中京競馬場駅前でハスラー50を止め、駅周辺の宿を探した。だが、みつけられない。
疲れきった体にムチを打って、さらに国道1号を走り、今度は名鉄の鳴海駅前でハスラー50を止めた。タクシーの運転手さんに聞くと、「喜久水」という旅館が駅の近くにあるという。
さっそく、「喜久水」に行ってみる。すると、うまい具合に部屋が空いていた。すでに10時を過ぎていたが、宿の主人は遅い時間の到着にもかかわらず、気持ちよく泊めてくれた。素泊まりで4800円。風呂に入り、布団にもぐり込むと、バタンキュー状態で深い眠りに落ちていった。
浮谷東次郎も名古屋で泊まった。素泊まりで350円という安宿だ。
最初は1泊2食の料金だと思っていたのだが、それが素泊まりの料金だとわかると、
「メシはでないのか、350円とは安すぎたかな。風呂にはいって金を払ってしまった今ではどうにもならない。やれやれ、大変なところに泊まってしまった」
それにしてもすごいのは、彼は6時半に名古屋に着いている。当時の東海道の道の悪さを考えると、驚異的な速さといっていい。
浮谷東次郎は名古屋で名古屋弁を聞いて、感動している。このあたりが、浮谷東次郎の旅人としての感性のよさというものだ。
おもしろかったのは、道路地図探しだ。
浮谷東次郎は東海道のガタガタ道の振動で道路地図を落としてしまい、夕食後、本屋に行くのだが、
「どこの本屋にも、気のきいた道路地図なんてものは、ただの一枚もなかった」
と、嘆いている。
このあたりにも、日本の変化がよく出ている。その後、日本では急速にモータリゼーションが進み、どんな田舎町の書店に行っても、何種類ものロードマップが並ぶようになる。浮谷東次郎を通して、時代の変化が読み取れる。