伝説の浮谷東次郎[2]

旧道を走り、東次郎の足跡をたどった

 国道1号は日本の大動脈だけあって、バイパスが発達している。日本で一番、バイパスの多い国道だ。有料のバイパスもある。これらのバイパスはパスし、旧道をたどって大阪まで行くことにした。

 それと、これは自分自身の東海道へのこだわり方だが、「東京→大阪」間の峠をしっかりと見た。

 小田原を出発。箱根湯本から箱根峠を目指して登っていく。ハスラー50のエンジンはうなりをあげている。50㏄バイクにとって箱根の坂は、なんともきつい。登るにつれて、道のわきには雪が積もり、コーナーはアイスバーンになっている。ハスラー50で切る風は冷たい。

 芦ノ湯温泉を過ぎたところで、国道1号の最高地点(標高874m)を通過。名前はついていないが、ここは国道1号の峠だ。

 いったん芦ノ湖畔に下り、神奈川・静岡県境の箱根峠に到達。標高846メートル。二重式火山、箱根山の外輪山の峠だ。

 箱根峠を越えると、東京は遠くなる。

 三島に下っていく。天気は快晴。雪をかぶった富士山が、目の中いっぱいに飛び込んでくる。

 三島の手前に錦田の一里塚がある。「江戸より二八里」の地点だ。

「江ノ島、鎌倉など、とうてい追いつくことのできないこの素晴らしさ。東京に近かったら、もっとひらけるのになあ」

 と、浮谷東次郎を残念がらせた沼津の海岸で、30分ほど眠った。

 寒さからやっと解放され、春を思わせるような日差しを浴びて眠る気持ちよさといったらなかった。

 すっきりとした気分で静岡へ。

 富士川を渡り、旧東海道の由比宿と興津宿の間のさった峠を越える。

 峠からの眺望は抜群。足下に国道1号と東名高速を見下ろす。国道1号は海岸を走り、新東海道の東名高速道はさったトンネルで峠を抜けていく。左手に雪化粧した富士山、正面にはキラキラ輝く駿河湾越しに青く霞む伊豆半島の山々を見る。

 13時、静岡に到着。東京から200キロ。

「ファミリーマート」でおにぎりと缶入りのお茶を買い、それを昼食にし、宇津谷峠に向かった。

 安倍川を渡り、丸子宿を過ぎると、宇津谷峠の登りがはじまる。

 宇津谷峠は、峠の「トンネル博物館」のようなところだ。

 明治9年に完成したレンガ造りの明治トンネル、昭和9年に完成した昭和第1トンネル、昭和34年に完成した昭和第2トンネル、平成7年に完成した平成トンネルがある。

 さらに時代をさかのぼると、江戸時代の東海道の峠道がある。

 最古の峠道といえば、「蔦の細道」と呼ばれる平安時代の官道だ。

 これら宇津谷峠の峠道のうち、昭和第1トンネルを抜け、岡部宿に下った。

 大井川を渡り、金谷から牧ノ原台地を登っていく。ゆるやかな峠を越え、もうひとつ、峠を越える。金谷町と掛川市の境になっている佐夜ノ中山。「夜泣石」伝説で知られる昔からの東海道の難所だ。

 浮谷東次郎が走った1950年代の東海道といったら、その半分は未舗装路。日本は世界でも冠たる「悪路の国」だった。当然、佐夜ノ中山の道も悪かったが、浮谷東次郎は次のように、佐夜ノ中山の峠越えを描写している。

「峠にさしかかる。どうしてどうして、相当の峠だ。もちろん道が舗装されているはずもなく、大きな石がコンニチワと大きな顔をそこいら一杯に出していた。岩の上を走っているような道路だった」

 天竜川を渡ると浜松。浜松といえばホンダ、ヤマハ、スズキと、世界のオートバイ3大メーカーがこの町で生まれ、この町で育った。浜松はまさに世界のオートバイのメッカなのである。

 浮谷東次郎はここではヤマハの工場を見学したかったのだが、東海道から離れているということで断念している。

 1950年代だと、浮谷東次郎の乗ったドイツ製クライドラーの優秀さを見てもわかるように、日本製のオートバイはドイツ車などのヨーロッパ車に太刀打ちできなかった。それが1960年代になると立場が逆転し、多くのヨーロッパ車は日本車に駆逐された。

 浜松の市街地を走り抜けたところで、旧国道1号沿いにあるスズキの本社に立ち寄る。ハスラー50の故郷だ。スズキの本社では営業推進部の宮本佳英さんと安藤勝博さんを訪ね、社員食堂でコーヒーを飲みながら話した。お2人ともぼくよりはるかに若いが、浮谷東次郎のことはよく知っていた。

 だが、その知り方の違いがおもしろかった。

 4輪から入ったカーレース大好きの宮本さんは、若くして死んだ「天才的レーサー」として、浮谷東次郎を知っていた。

 一方、2輪から入った安藤さんは学生時代、バイク仲間からすすめられて『がむしゃら1500キロ』を読み、ずいぶんと深い感銘を受けて浮谷東次郎を知った。

 カソリはといえば後者の安藤さん派で、『がむしゃら1500キロ』の単行本が出てまもないころに読み、やはり安藤さんと同じように深い感銘を受けた。その後、『俺様の宝石さ』と『オートバイと初恋と』も読み、浮谷東次郎の生き方に共感をおぼえるところが大きかった。

 宮本さん、安藤さんに別れを告げ、スズキの本社を出発。国道1号に合流するとまもなく、浜名湖が見えてくる。

「地図で見ても、海と浜名湖とはつながっているように書かれているし、実物も確かに海とつながっている。こいつは湖ではない。インチキだと思う。いや確かにインチキだ」

 と、浮谷東次郎が怒った浜名湖の湖面は、夕日を浴びて金色に染まっていた。

夕日に染まった浜名湖