日本16端紀行[14]

2019年10月6日

本州最東端「トドヶ崎」

 10月6日。午前0時を期して楢葉の大楽院を出発。常磐富岡ICで常磐道に入ると、南相馬鹿島SAでしばしのゴロ寝。この頃から雨が降り出した。このあとは雨中を走りつづける。

 仙台東部道路経由で三陸道に入り、三陸道の春日PAで2度目のゴロ寝。雨に濡れて体の芯まで冷えているので、眠りに落ちてもすぐに目がさめてしまう。

 6時30分、三陸道の気仙沼中央ICに到着。ここからは国道45号を北上。県境を越え、岩手県に入る。気仙大橋で気仙川を渡り、陸前高田の道の駅「高田松原」に到着。ここは完成したばかりの新しい道の駅。大津波にやられた元の道の駅「高田松原」は震災遺構として残されている。新しい道の駅「高田松原」には東日本大震災伝承館の「いわてTUNAMIメモリアル」ができている。

 陸前高田の「ファミリーマート」で朝食の「てんこ盛り弁当」を食べ、大船渡、釜石、大槌を通って山田へ。ここから県道41号で重茂半島に入っていく。目指すのは本州最東端のトドヶ崎だ。

 曲がりくねった狭路を走り、海辺の小集落を見渡す高台に出た。そこには津波記念碑が建っていた。明治29年(1896年)6月15日の「明治三陸大津波」、昭和8年(1933年)3月3日の「昭和三陸大津波」、平成23年(2011年)3月11日の「平成三陸大津波」の記念碑だ。

「明治三陸大津波」の記念碑には「大津浪記念塔」と彫り刻まれている。

「昭和三陸大津波」の記念碑には「大地震の後には津浪が来る。地震があったら高い所へ集まれ。津浪の来る前には海水が引ける。遠くへ逃げては津浪に追い付かれる。近くの高い所を用意して置け。住宅は津浪浸水線より高い所へ。」と彫り刻まれている。

「平成三陸大津波」の記念碑には「津波到達地点」と彫り刻まれている。

 山田町から宮古市に入ると、少しは走りやすくなる。県道41号を右折。海岸に下ったところが姉吉漁港。山田から25キロの地点だ。

 姉吉漁港近くの駐車スペースにVストローム250を止めると、トドヶ崎への山道を歩き始める。トドヶ崎までは3・7キロ。最初の登りがキツイ。0・55キロ地点が最高所で標高110メートル。そこを過ぎると楽になる。

 姉吉から1時間30分歩いてトドヶ崎に到達。東北一のノッポ灯台を見て、岩場を歩くと本州最東端の地。大岩に「本州最東端の碑」のプレートがはめ込まれている。

 トドヶ崎から姉吉漁港に戻り、県道41号で重茂を通り、津軽石で国道45号に出た。

 宮古に到着すると宮古漁港へ。道の駅「みやこ」(シートピアなあど)のレストランで遅い昼食。マグロとイクラ、ホタテの「三色丼」を食べた。

 宮古を出発したのは15時45分。国道45号を北上。田野畑、普代、久慈と通り、青森県境に近い種市(洋野町)で夕食。ラーメン店「麺介」で「ホヤラーメン」を食べたが、ホヤの味が三陸海岸を強く実感させてくれた。

 県境を越えて青森県に入り、八戸に到着したのは20時。JR八戸駅前の「東横イン」に泊まった。一日中、雨…。時々、晴れて青空が見えることもあったが、すぐにまた雨が降り出すという天気。何とも寒い一日だった。

JR八戸駅前に到着。駅前の「東横イン」に泊まる