日本16端紀行[11]

2019年9月20日

「西日本編」これにて終了

 洲崎から房総半島最南端の野島崎までのシーサイドランは楽しめる。切る風に黒潮の香をかぎながらが走る気分は最高。10時、野島崎に到着。野島崎は地名通りで、もともとは「野島」という島だった。それが元禄大地震(1703年)で陸地につながった。さらに関東大震災で隆起し、岬周辺の岩礁地帯が生まれた。

 野島崎では漁港の岸壁に立って漁船を眺め、岬の厳島神社に参拝する。見事な男根と大きな貝の女陰が奉納されている。そして灯台へ。漁港と神社と灯台は岬の3点セット。

「野島埼灯台」には登れる。

 灯台の上から白浜海岸を一望する。名前は白浜だが海岸線は黒浜だ。それでも白浜なのは、この地が紀州の白浜と黒潮で結びついているからなのだろう。南紀の白浜の漁民が黒潮に乗って移住し、進んだ紀州の漁法を房州にもたらした。

 黒潮でつながっている紀州と房州は「黒潮文化圏」だ。

 野島崎を出発。海沿いの道を走り、国道128号に合流。鴨川の手前の太海には、外房海岸で唯一の渡れる島、仁右衛門島がある。太海港から手漕ぎの舟で渡るのだが、仁右衛門島は見るだけにして、太海の食堂「まるよ」で昼食の「冷し中華」を食べた。

 鴨川、天津、小湊と通り、安房から上総に入る。

 勝浦では勝浦湾の東側に突き出た八幡岬に行く。この岬のおかげで勝浦港は天然の良港になっている。岬の展望台には徳川家康の側室「お万の方」の銅像。要害の地の八幡岬には勝浦城跡があるが、お万の方はこの城の姫だった。落城の際、お万の方は断崖に布をたらし、海上に逃れたといわれている。八幡岬のその断崖は今でも「お万布さらし」といわれているほどだ。

 お万の方といえば、徳川御三家のうち、紀州家の藩祖(頼宣)と水戸家の藩祖(頼房)を産んだ。「お万の方」を通して外房海岸の勝浦と名古屋、水戸がつながっているところが歴史のおもしろさ。もし、お万の方が落城とともに命を落としていたら、今の名古屋や水戸はまったく違う顔になっていたかもしれない。歴史で「もし」を考えるのはなんとも楽しい。これも旅の醍醐味というものだ。

 勝浦からは国道297号→国道465号で上総中野駅へ。ここは小湊鉄道といすみ鉄道の終着駅。2本のローカル鉄道が上総中野駅で接続している。上総中野駅前から養老渓谷に向かった。その途中の店で止まったときのことだ。郵便バイクも止まり、「カソリさ〜ん!」と声をかけられた。大多喜郵便局の局員さんだった。何ともうれしいことに、「カソリさんに会いたかったんですよ〜!」と言ってくれた。

 大多喜郵便局の局員さんはいったん退職して、セローで長年の夢だった「日本一周」を成しとげた。「日本一周」を終えると復職し、仕事をしながら、次の「日本一周」を計画しているという。「ぜひとも2度目の日本一周も成しとげてくださいね!」とエールを送った。

「日本一周談義」で大盛り上がりしたところで、大多喜郵便局の局員さんは、何とその店で買ったバームクーヘン、フルーツとクルミのケーキ、カロリーメイト、ワンダ(缶コーヒー)、伊右衛門茶の差し入れをしてくれた。店の前で別れたが、小湊鉄道の養老渓谷駅前でVストローム250を止めると、局員さんの差し入れをいただいた。胸がジーンとしてくる差し入れだった。

 養老渓谷を最後に東京へ。県道81号→国道297号で館山道の市原ICへ。京葉道路→東関東道→首都高と高速道を走り繋ぎ、17時、日本橋に到着。「日本16端めぐり」の「西日本編」、これにて終了。

 9月11日から9月20日までの10日間で4802キロを走った。Vストローム250には、「東日本編もよろしく頼む!」と声をかけるのだった。

日本橋に到着。「西日本編」、終了!