日本16端紀行[08]

2019年9月18日

本州最南端「潮岬」

 四国本土最東端の蒲生田岬から徳島に戻ってきた。

 徳島駅前から徳島港へ。

「南海フェリー」の和歌山港行に乗船。

 11時00分、徳島港を出港。船内で昼食の弁当を食べ、そのあとひと眠り。これがフェリー旅の良さというものだ。

 和歌山港到着は13時05分。

 和歌山港から本州最南端の潮岬に向かった。

 和歌山の町を走り抜け、和歌山ICから高速道に入る。阪和道→紀勢道と、Vストローム250を走らせ、終点のすさみ南ICで高速道を降りる。そこから国道42号で串本へ。JR紀勢本線の串本駅前で止まり、ひと息入れた。

 串本駅前から本州最南端の潮岬へ。本州最南端の潮岬到着は16時。和歌山から150キロ。ここが「西日本編」最後の第10端目になる。

 広々とした岬の園地を歩き、新旧2つの「本州最南端碑」を見る。展望台に立ち、潮岬突端のゴツゴツした岩場を見る。太平洋の水平線上を大型の貨物船が通り過ぎていく。

 つづいて潮岬灯台へ。ここは登れる灯台だが、残念ながらすでに閉まっていた。灯台入口の手前には潮御崎神社の石柱。そこから参道を歩き、潮御崎神社を参拝する。台風銀座の潮岬だけあって潮御崎神社は防風林と丸石を積み上げた石垣で囲まれている。

 潮岬周辺の旧潮岬村は、移民の盛んな村として知られていた。明治17年の木曜島(オーストラリア)への移民を皮切りに、ジャワ島、フィリピン、ブラジル、ハワイと、戦前までに500人以上の村人たちが海を越えて移り住んでいった。その中でもオーストラリアへの移民が一番多く、大半は木曜島への移民で、アラフラ海で真珠貝を採った。

 昭和9年には直接アラフラ海に出漁するようになり、それ以降、村は「アラフラ景気」に沸いた。昭和13年にはアラフラ船団のうち2隻が遭難し、死者40人という大惨事が起きた。それにもかかわらずアラフラ海への出漁は昭和36年までつづいた。

 潮岬にはこのような歴史がある。

 夕暮れの潮岬を後にして串本に戻ったが、1時間半をかけての「串本〜潮岬」の往復は心に残るものだった。

 串本から国道42号を行く。夕暮れの橋杭岩を見て、JR紀勢本線那智駅の駅舎温泉「丹敷の湯」に入り、19時、新宮に到着。飛び込みで国道42号沿いの「新宮セントラルホテル」に泊まった。夕食はコンビニ弁当だ。