30年目の「六大陸周遊記」[083]

[1973年 – 1974年]

ヨーロッパ編 6 セルベレ[フランス]→ アビニョン[フランス]

フランスでのヒッチハイク開始

 1974年9月24日、地中海岸の列車に乗ってスペインからフランスに入った。

 フランスもヒッチハイクの難しい国だと聞いていたので、国境の町、セルベレからさらに100キロほどのナルボンヌまでは列車に乗った。

 ピレネー山脈を越えてスペインからフランスに入ると、世界は大きく変る。

 車窓を流れていく家々や道路、ブドウ畑、町並みなど目に入るものすべてが、スペインよりもはるかに整然としている。

 列車はペルピーニャンを過ぎ、地中海の入江に沿って走る。塩田が見える。ピレネー山脈から吹き降ろす強風で、真っ青な入江は波だっている。海の青さと波頭の白さの色の対比がきわだっている。

 ナルボンヌに到着するとフランスでのヒッチハイク開始。さー、うまくいくかどうか。まだ9月だというのに、冬のような寒さ。思わず歩きながら体をギューッと縮めてしまう。道行く人たちはオーバーを着ている。

 猛烈な暑さの西アフリカからサハラ砂漠を越えてやってきたので、この寒さが身にしみる…。

 やっと町外れまで来たが、ヒッチハイクは難しかった。なかなか乗せてくれない。

「よし、こうなったら高速だ!」
 と、オートルート(高速道路)のインターチェンジまで歩き、その入口で車を待った。目の前にはブドウ畑とリンゴ畑が広がっていた。

 行き先は車まかせ。とにかくイギリスのロンドンを目指すのだ。

 だが、どの車も乗せてくれない。

「(スペイン同様)フランスもヒッチハイクは難しい」
 と聞いていたが、その通りだった。

 79台目の車がポリスのバイク。

 警官にはパスポートを調べられ、
「オートルートでのヒッチハイクは禁止されている。ここで待ってろ!」
 ときつい口調でいわれた。

 ほとんど待つこともなく、すぐにパトカーが来た。

 パトカーに乗せられると、ナルボンヌの町に戻っていく。警察に連れていかれるのを覚悟していたら、町中で、放り出されるようにして下ろされた。

ナルボンヌの公園で野宿

 夕暮れのナルボンヌの町をあてどもなく歩く。惨めな気分。その日はもうヒッチハイクする気力を失くし、ひと晩、ナルボンヌで泊まることにした。

 パン屋でフランスパンを買い、それをかじりながら歩く。夕食はこのフランスパン、1本。しばらく夜の街を歩き、きれいな公園を見つけると人目のつかないベンチにシュラフを敷いて寝た。

 強烈な寒さ。シュラフはペラペラの擦り切れたようなものなので、寝ながらガタガタ震えてしまった。おまけにひと晩中、強風が吹き荒れた。あまりの寒さに夜中、何度目をさましたことか…。

 ナルボンヌの公園では貧乏旅行の辛さをしみじみとかみしめた。

 ヨーロッパに入って辛いのは、貧乏旅行の辛さだけでなく、心の中まで貧乏一色になり、気持ちが沈みきってしまうことだ。

 アフリカでは究極の貧乏旅行でもまったく平気だった。

 車に乗せてもらえず、2日、3日歩いても、心が貧乏になることはなかった。それどころか歩きながらいつも地図を見ては、
「ここに行きたい! ここにも行きたい!」
 と、夢を膨らませた。

 だが、ジブラルタル海峡を渡ってヨーロッパに入ってからというもの、弾むような心がなくなった。それがアフリカ旅とヨーロッパ旅の一番大きな違いだ。

オランダ人カップル

 翌朝は悲惨だった。夜が明け、出発しようとすると、公園の出口は施錠されている。仕方なく塀を乗り越えることにしたが、塀の上には先端が尖った槍状の鉄棒が埋め込まれている。それを乗り越えるのはかなり危険なことだったが、門が開くまで待ってはいられないので強引に突破した。

 体は氷のように凍りついているので、体を温める意味でも歩いた。

 一般道の国道113号を行く。国道の両側にはブドウ畑が広がっている。収穫の最中のブドウ畑ではブドウをひと房もらい、それを食べながら歩いた。

 ずいぶん歩いたところで、やっと車に乗せてもらいベジェの町に到着。ナルボンヌから27キロ。この町は「ブドウの都」といわれている。

 ベジェからも厳しいヒッチハイクがつづく。

 さんざん歩いた所で車を待ったが乗せてもらえない。

 100台を超えてもダメ、150台を超えてもダメ…で、
「もうヒッチは無理だな」
 と諦めかけた時、156台目の車に乗せてもらった。

 いやー、うれしかった。

 オランダ人のカップルで、2人はアルルまで行くという。

 ということでぼくはアルルへの道とこれから向かうニームへの道の分岐点まで乗せてもらったが、その途中にはモンペリエがあるので助かった。いったん大きな町に入ってしまうと、そこを抜け出すのが大変なのだ。

 オランダ人カップルは北欧をヒッチハイクでまわったことがあるという。そんな2人とは話がはずみ、ニームとアルルの分岐点では2人と何度も握手をかわして別れた。2人からは、
「がんばって?!」
 と励まされた。

アビニョンでの野宿

 分岐点からニームまではバスに乗った。ニームまでは18キロでしかないのに、バスの運賃は4フラン。高いな…。

 ニームは大きな町だ。ニームの町を歩いて抜け出る元気を失くし、電車でローヌ川河畔のアビニョンまで行く。

 アビニョンといえば民謡「アビニョンの橋」でよく知られている。ここは城壁のある町でプロバンス地方の中心地。観光地にもなっている。

 アビニョンで体勢を整えなおし、ヒッチハイクを再開。リヨンへと向かう。

 前日同様、パン屋でフランスパンを1本買い、それをかじりながら歩く。

 夕暮れの道を北に向かって歩いていると、ヒッチハイクのサインを送ったわけでもなかったが、車が停まってくれた。

 なんともありがたいことに、
「リヨンに行くのなら、ここで待ったらいい」
 といって、年配の人はアビニョンの町外れまで乗せてくれた。

 そのまま夜のヒッチハイクをつづける元気もなく、道路沿いの建てかけの建物の中にシュラフを敷いた。残ったフランスパンを食べ終わると、明かりもないので何もすることがなく、早々に寝た。

 屋根の下だったが、地面からはジンジン冷気が伝わり、前夜以上の寒さに悩まされる。またしても寒さのため、夜中に何度も目をさました。ダンボールがあればずいぶん楽に寝られるのだが…。それでも屋根があるだけ、ありがたい。雨の心配をしなくてもいいからだ。