30年目の「六大陸周遊記」[084]

[1973年 – 1974年]

ヨーロッパ編 7 アビニョン[フランス]→ ローザンヌ[スイス]

オートルートでのヒッチハイク

 南フランス・アビニョンの夜明け。空はきれいに晴れわたっている。シュラフをクルクルッと丸め、さー、出発だ。一路、イギリスのロンドンを目指す。

 それにしても寒い朝だ。寒くて寒くて立っていられないほど。そこで歩く。体が温まるまで懸命になって歩く。気がつくと隣町まで来ていた。

 さらに歩き、次の町を過ぎたところで、通り過ぎていった車が戻ってきてくれた。「助かったー!」

 その車にはフランス人男性とニュージーランド人女性が乗っていた。

 ニュージーランド人女性が、
「あの東洋人を乗せてあげて」
 といってくれたそうで、運転しているフランス人男性はUターンして引き返してくれたという。

 2人には30キロほど先のオランジュの町まで乗せてもらった。

 しかしオランジュから先がまたまた厳しいヒッチハイクとなり、なかなか乗せてもらえない。リヨンに通じる国道7号を歩いた。

 もういやになってくる。

 交通量はメチャクチャ多いのに、まったく乗せてもらえない。

 国道7号のすぐ脇をリヨンに通じるオートルート(高速道路)が走っている。あまりのヒッチハイクの難しさに、ついにここで禁じ手を使った。

 オートルートに入り込み、警察に捕まるのを覚悟してヒッチハイクを開始した。

 すると何ともラッキーなことに、ヒッチハイク開始からほんの2、3分でフォルクスワーゲンのキャンピングカーが停まってくれた。ドイツ人のグループだ。

 彼らはモロッコの海岸で休暇を過ごし、ミュンヘンに帰るところ。ここからスイス経由で夜通し走り、今日中にはミュンヘンに帰るという。

「もしよかったらミュンヘンまで乗せてあげるよ」
 といわれたが、スイスのローザンヌで降ろしてもらうことにした。

 ぼくはそこからパリ、そしてロンドンを目指すことにした。

ラテンとゲルマン

 ドイツ人グループのフォルクスワーゲンはリヨンに通じるオートルートを北へ。

 車中で彼らと話しながら、
「やっぱりゲルマンだな」
 と、改めて思った。

 昨日も乗せてくれたのはオランダ人カップル、今日もニュージーランド人女性の一言、そしてドイツ人グループだ。

 ヨーロッパは南のラテンと北のゲルマンの世界に大きく分けられるが、地獄の苦しみを味わったスペイン、それよりはちょっとましなフランスと、とにかくラテンの世界でのヒッチハイクは難しい。絶望的に難しい。

 それにひきかえ、ゲルマンの世界ではヒッチハイクがきわめて楽だ、簡単だといわれている。いったいこの違いは何なのか。

 ドイツ人グループのフォルクスワーゲンはリヨンの手前のバランスでオートルートを降り、一般道でスイス国境に向かっていく。

 ブドウ畑は消え、前方にはアルプスの山並みが見えてくる。グルノーブルへの道との分岐点を過ぎ、シャンベリー、アヌシーと大きな町を通り過ぎていく。

スイスに入る

 フランス・スイスの国境に到着。フランス側はフリーパスだが、スイス側では何台かの車が徹底的に調べられていた。それらはすべてモロッコからの車だという。

 モロッコではごく普通に手に入るハッシーシーだが、スイスでは持ち込み厳禁。そのチェックをしているのだという。

 ドイツ人グループもモロッコからやってきたのだが、幸いノーチェックで国境をパス。スイスに入った。

 国境からジュネーブへ。

 ジュネーブからはレマン湖の湖岸を走る。絵のようにきれいなレマン湖の対岸にはアルプスの雪の峰々が連なっている。

 ローザンヌまではアウトバーン(高速道路)を走る。ローザンヌに到着すると、ドイツ人グループはわざわざ町の中央まで行き、ローザンヌ中央駅の駅前で降ろしてくれた。

「(駅の)ツーリストインフォメーションでこの町の情報をもらったらいい」

 ほんとうにいたれり尽くせりのドイツ人グループ。彼らはぼくを降ろすと、ミュンヘンに向かって走り去っていった。