2010年6月21日
台東平野に入っていく
大渓から国道9号を北上し、台東に到着。台東は台湾東海岸最大の都市だが人口は10万人ほどでしかない。地方の小都市といったところだ。鎖状に大都市が連なる西海岸と、これといった都市のない東海岸では、ずいぶんと大きな違いがある。
台東は我がなつかしの町。1976年の「台湾一周」では、この町を拠点にして周辺の村々をまわった。知本温泉にも行った。知本温泉は日本時代から知られていた名湯だが、驚いたのは山地民パイワン族の村の名もなき温泉だ。案内されたところは畑の片角で、そこからはジャスト適温の湯がふんだんに湧き出ていた。そんな野湯につかったのだ。
その時は、台東から5人乗りの小型機で太平洋の孤島の蘭嶼に渡った。ここは海洋民ヤミ族の住む島。彼らの伝統的な半地下式の家がまだ何軒も残っていた。それぞれの家には涼み台があって、夕方になるとヤミ族の男たちは涼み台に座り、夕風に吹かれながら海を眺めていた。そんななつかしの台東なのだ。
台東では観光牧場の「初鹿牧場」に行った。そこでは濃厚な牛乳を飲み、初鹿牧場産のアイスクリームを食べた。
台東から国道9号を北上。海岸線を離れ、海岸山脈と中央山脈の間の台東平野に入っていく。国道9号沿いのガソリンスタンドで給油。そこには3人のライダーがぼくを待ち構えていた。「もうそろそろカソリさんが来る頃だと思ってましたよ」と言って喜んでくれた。
さらにその先では、
ようこそ台東鹿野へ
賀曽利隆さん
頑張れ〜頑張れ!
と、日本語で書かれたボードを持った人が、炎天下に立ちつくして待ってくれていた。もう感謝感激!
台東平野は一面、黄色く色づいた稲田地帯。アドレスV125Gを止めて小休止した一帯は、「関山米」で知られる銘柄米の産地。その北は「池上米」の産地になる。台湾ではすこしでも旨い米を食べようと、「関山米」や「池上米」のような銘柄米が大人気なのだという。
「池上米」の産地の池上では、日本の道の駅風の「池上飯包」がある。1階の売店では池上米のほかに様々な種類、銘柄、等級の米が売られているが、その光景は「米食文化」の国、台湾を強く感じさせた。2階は「米博物館」になっている。
池上を出発。右手に海岸山脈、左手に中央山脈を見ながら国道9号を北上。広々とした台東平野は次第に幅狭くなり、両側に山々が迫ってくる。
北回帰線に到達。西海岸の北回帰線同様、東海岸にも立派な北回帰線標が立ち、その周囲は「北回帰線公園」になっている。ここからは台湾山脈の主峰群が見られる。遠くには雪山(雲かもしれない)が見えたので、
「あれは玉山ですか?」
と聞いてみた。すると残念ながらここからは玉山は見えないとのこと。台湾の最高峰の玉山(3952m)はほぼ北回帰線上の山である。
北回帰線を過ぎると、また海岸山脈と中央山脈の間の台東平野は広くなり、今晩の宿、瑞穂温泉の温泉旅館「東岡秀川」に到着。すぐさま部屋の木枠の湯船に湯を張り、どっぷりと湯につかった。
「気持ちいい〜!」
湯から上がると、瑞穂の町まで行き、食堂で夕食。ご飯と豚肉とタケノコのスープ、それと6品の料理。その中でも「炒青菜」はうまかった。
台鈴のみなさんとテーブルを囲んでの夕食は楽しいし、自分が日本人であることを忘れてしまうほど。台湾のみなさんはそんなホスピタリティーを持っている。
大満足の夕食を食べ終わると、瑞穂温泉「東岡秀川」に戻り、部屋のテレビでワールドカップの生中継を見た。ポルトガル対北朝鮮戦をやっていた。北朝鮮はまさかのボロ負けで、ポルトガルが7対0で勝った。
「これじゃー、帰国したら、将軍さまのお仕置きだ」
ワールドカップ会場の南アフリカから遥かに遠い台湾の温泉宿で、北朝鮮の選手たちに同情するのだった。
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