2010年6月21日

大渓小学校を訪問

 楓港の交差点は台北→台中→台南→高雄と台湾の西海岸を南下する国道1号の終点。ここから国道26号で台湾山脈の南端を越え、国道9号で東海岸を北上していく。

 その前に楓港のマンゴーの販売店に立ち寄った。楓港の周辺は台湾屈指のマンゴーの産地。店先で販売するだけでなく、ここからは箱詰めにされたマンゴーが台湾の各地に送られていく。

 楓港のマンゴーを賞味する。とろけるような甘さがたまらない。

 収穫したマンゴーを満載にした軽トラがやってきた。それにはかわいらしい子供が乗っていた。台鈴の李さんがスズキのグッズをあげると、はにかみながらも喜んでいた。

 さー、楓港を出発だ。

 正面に立ちふさがるようにして連なる山並みに向かって走る。片側2車線の道は1車線になる。アドレスV125Gはパワフルなので、軽やかなエンジン音を響かせて峠道を登っていく。峠を越えると太平洋が見えてくる。台湾海峡から太平洋へ、海が変った。

 国道9号に出ると、台湾東海岸の大渓に到着。キャッサバ畑を見る。ココヤシの葉が風に揺れている。亜熱帯というよりも熱帯の風景。日差しが強い。この一帯は2009年の台風で大きな被害を受けた。

 大渓では大渓小学校を訪問。全校生徒の出迎えを受けた。校長先生や先生方にも暖かく迎えられた。生徒のみなさんには綺麗な花で飾った冠を頭につけてもらう。うれしいことに掲示板には「鉄人賀曽利さん歓迎!」の手書きの大きなポスターが貼られていた。

 台鈴からは文房具やスズキのグッズが大渓小学校に送られ、そのあとは全校生徒、校長先生や先生方、台鈴のみなさんたちとの記念撮影。

 そして大渓小学校でのイベントがはじまった。

 大渓小学校の生徒は全員が台湾の先住民のパイワン族。山地民のみなさんと接していると、1976年にこの地方を訪れたときのことが、なつかしく思い出されてならなかった。パイワン族とルカイ族の村々を訪ねたのだが、とくに石造りのパイワン族の家は印象深い。石を積み上げた壁柱、大きな一枚石の壁板、石で葺いた屋根と、まさに「石の家」。外は猛暑だが、「石の家」に入るとヒンヤリとして涼しかった。

 粟餅をいただき、粟酒をふるまわれた。粟を貯蔵する高床式の4本足の倉も見せてもらった。粟は3月中旬に種をまき、7月の中旬に収穫し、8月15日には村をあげて盛大な粟祭りをする。粟餅と粟酒は間近に迫った粟祭り用のもの。今でも石の家や粟の栽培は残っているのだろうか…。

 大渓小学校では高学年のみなさんの踊りを見せてもらった。女子生徒は赤、男子生徒は黒を基調としたパイワン族の民族衣装を着ている。それにはきれいな刺繍がほどこされている。女子生徒も男子生徒も頭には飾りの輪をつけている。女子生徒たちは手をつなぎ、足を振り、ステップを踏んで踊る。男子生徒は戦いの踊りなのだろう、棒を持って踊る。踊りに合わせてパイワン族の先生が澄んだきれいな声で歌う。心にしみる歌声。女子生徒と男子生徒は手をつなぎフィナーレを迎えた。

 生徒たちの踊りを見せてもらったあとは、教室で給食をいただく。粟のチマキは美味。中には豚肉が入っている。コリコリした食感のカタツムリの煮つけをつまみながら粟のチマキを食べた。

 昼食のあとは校長先生、担任の先生をまじえて生徒のみなさんとおおいに語り合った。

 みなさんからは次々と質問が飛び出したが、西方さんの通訳で、それらの質問のひとつひとつに答えていく。

 みなさんとの別れのときがやってきた…。

 まだ若い校長先生とは何度も握手をかわし、先生方1人1人とも握手をかわした。そして全校生徒に見送られ、大渓小学校をあとにした。

 大渓からは太平洋を見ながら国道9号を北上。この一帯は台湾山脈南端の山並みが海に迫り、何本もの川が急流となって海に流れ出ている。

 それらの川が2009年の台風で氾濫し、集落を飲み込み、多数の死傷者を出した。大量の土砂と流木は下流一帯の田畑を埋め尽くした。東海岸を縦貫する国道9号も大きな被害を受け、いまだにあちこちで復旧工事がつづいている。

 台鈴が大渓小学校を訪問し、文房具などを送ったのは、台風で被災した人たちをすこしでも元気づけたいという願いを込めてのものだった。